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自分に心地よい言葉だけを受け取っていたのかもしれない

「甘いんだよなぁ」

頭の中でうっすらと、でも確かに聞こえるその声は、
両親とか厳しいお方の声が植え付けられてるだけかと思ってた。

「そんなことない」
「自分はなんとか出来るはず」
「やってみなきゃ分からない」

そうやって、その声の主に歯向かってきた。その声が言うことも一理あると思っていたので、真に受けすぎないくらい聞くようにしていた。

でも、その声の主の顔がふわっと頭をよぎったとき、
ちょっとびっくりした。


自分だった。


鏡や写真でたまに見る顔が、表情を持って、こちらを不満そうに見つめている。

なるほどなと。

これまで耳を塞ぎたくなることを囁いていたのは、
不安で不安で仕方がなくなった自分らしい。

最近は、周りにやりたいことを少しずつ伝えるようにしている。
その量や質も正直まだまだ足らなすぎることなんて分かっているけれど、
自分なりになら少しずつ増やしてるつもりだった。

それに伴って「いいね」と賛同してくれる人も増えてきたいたので、
なんとなく現状に甘んじてしまっている自分もいた気がする。

それなのにどこか根本的に変わらない状況が続く。
そんなにすぐに結果なんて出るはずないけれど、でもこのスピードでやってたって、納得いくイメージには到達できない。

自分に心地よい言葉だけを受け取っていたのかもしれない。

自分らしく生きる
ありのままに生きる

この言葉を信じて生きてきた。

それがただ平坦な道ではないことくらいわかってるし、
大変なことはわかった上で、自分らしく生きたいと思う。

でも、なんと言えばいいのか
「ちょっとこれは甘いんじゃない?」ということも思い当たる。

だからと言って、何がどうという訳ではないけれど、
その声の主が虚空から聞こえてくる無責任な声ではなく
不安が抑えられなくなった自分だと思った瞬間に、

「あ〜、聞いてやらなくては」

と思うことができた。

誰かの無責任な言葉に対しては、
「ちゃんと考えてるよ」
なんて反論してしまっていたけれど

その事実に気付きたくなかっただけで、
本当は自分でも気付いていたんだ。

不安は実行してこそ初めて解消されると思うから、ちゃんと自分のためにも手と足を動かそう。

自分の安心感のためにも。

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