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小林 豊 1946年、東京深川に生まれる。立教大学社会学部を卒業。イギリス留学中に画家…

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小林 豊 1946年、東京深川に生まれる。立教大学社会学部を卒業。イギリス留学中に画家を志す。1979年日展初出品で入選。1983年『上野の森美術館』特別優秀賞受賞。1970年〜80年代始めにかけて、中東・アジアをたびたび訪れる。その体験が制作のテーマとなっている。

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「さばくのはての、くだもののかおりにみちたうつくしい村。」

日本から中央アジアへ。北緯36度線上のさまざまな土地でくらす人々をたずねる心の旅を通じて、国境を越えた人間の繋がりを考える。 ”東京から地球をまっすぐ西へ --- ぼくたちは大きな鳥にみちびかれ、北緯36度線上にくらすひとびとに会う旅にでる。ふたりと1ぴきの幻想の旅” 原画1999年 えほん北緯36度線(ポプラ社)から

    • アフガン クイジン

      世界三大料理という。 フランス料理に、中華料理ときて、さてもう一つはいったい何だろう? インド料理か? イタリア料理か? 日本料理、ひょっとするとトルコ料理か? こんなとき一言もないのは、冷や飯好きの北欧人か、食事に関して遠慮深いイギリス人ぐらいではなかろうか。 ともかく世界中のありとあらゆるところに、どうしてもゆずれない自慢料理がある。 だから最後の一つは空けておく、そうして各人好みの一品を加え晴れて世界三大料理の完成というわけだ。 ぼくにとっては、アフガン料理が

      • ぼくの風景図会 「アララト山」

         「狼がでるぞ」  と警官におどされた。  トルコ語で狼をクルトという。警官のおどしはクルトとクルド(人)を語呂あわせした悪い冗談なのだ。  夜になって丘の上はものすごく冷えこんできた。  岩場をさけて土のつもった場所に寝床をつくった。風はぴ たりとやんで、刃物のようにとぎすまされた空気が肺をつき ぬける。ぼくは身体を二つ折りするぐらい縮めた。 寒くて震えが止まらない。カバンの中から着古したシャツやズボン、くつ下や下着までひっぱり出して寝袋の中につめこんだ。足さきには

        • わたしの風景絵図

           なにげなく通りすぎてしまう風景に、時として、ひどく気になる「何か」を感じて立ち止まってしまうことがあります。  たいがいそんな場所には、やけにあっけらかんとした空間が、空にまで抜けるように広がっているの です。  私は、その不思議な空間に立ちつくす ― そこに私の“まち”を感じるからです。  そこは美しい街並とか、歴史的な環境保全区域といった特別に厚化粧した場所では決してありませんが、“まち”のもって生まれた宿命というか、つまりま“まち”のなりたちの狭間に生き残ってしまった

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        「さばくのはての、くだもののかおりにみちたうつくしい村。」

          下関周辺と門司

          1993年に日本の下関を訪れたのは、1年前にトルコを訪れた際、ガイドをしてくれたトルコ人学生との再会が目的であった。当時、彼に「日本に来ることがあったら、ぜひ連絡してほしい」と伝えていたところ、彼は下関の大学に留学することになった。 彼に会うために下関を訪れた私は、関門海峡の風景が彼の国にあるボスポラス海峡と似ていることを伝えた。 下関と門司の風景は、かつて外国への玄関口として栄えた場所である。これは、彼の故郷イスタンブールにも共通する点であり、二つの海峡は地理的な類似だ

          下関周辺と門司

          いちばん列車

          春の陽を うけて、 風が また うごきだした。 町へ かよう いちばん列車が 風に むかって しゅっぱつする。

          いちばん列車

          あさの空気のなかを

          1920年〜60年ごろ、現代と近現代(昭和初期)が混在する景色 東京オリンピック開催、高速道路や新幹線の登場によって消えた景色を描きます 天竜川中流域を飯田へ向かう 原画の貸絵を希望される方は額装しますのでご連絡ください。

          あさの空気のなかを

          「朝鮮通信使と船」~川御座船の絵本パネル展・朝鮮通信使復元船写真展~

          江戸時代の朝鮮通信船が韓国で復元建造され、大阪関西万博会期中の大阪への来訪が計画されています。釜山より通信使船に乗り海を渡り来阪した通信使は、淀川を大阪から豪華絢爛な川御座船に乗り、京都を目指しました。朝鮮通信使船の来航を前に、川と海の2種類の船で結んだ通信使の苦難の行程と日韓の交流の様子を紹介するため、通信使と船をテーマとした特別展を開催します。 朝鮮通信使とは 朝鮮通信使は、江戸時代、12回にわたり朝鮮国から日本に派遣された外交使節団です。 政府高官のみならず、文人、

          「朝鮮通信使と船」~川御座船の絵本パネル展・朝鮮通信使復元船写真展~

          ちいさなやま

          北千住駅の東側の小さな山で、むかしは「太郎山」とよばれていたそうです。 原画の貸絵を希望される方は額装しますのでご連絡ください。

          ちいさなやま

          大和三山

          「天香久山」「畝傍山」「耳成山」を、多神社(奈良県 田原本)から見た風景。 古代(弥生後期〜古墳時代)を想像して描いた絵。 原画の貸絵を希望される方は額装しますのでご連絡ください。

          バーチャル展覧会「えほん北緯36度線」について

          「youtube Exhibition|北緯36度線」小林 豊|聞き手:Erdal Küçükyalçın(以下 - ) ― 今回「和モダン」のバーチャル美術館の中で、小林さんの北緯36度線の展覧会を開きますけどもこれをきっかけに小林さんにお聞きしたいことですけども、まずは「えほん北緯36度線」の中で伝えたいメッセージ、何でしょうかという質問に関してはいかがでしょうか。 簡単に言うと、交流なんですよね。 人々の交流、空気の交流、文化の交流、それから歴史の交流、全てに人と人

          バーチャル展覧会「えほん北緯36度線」について

          小林豊「VRミュージアム」プロジェクト

          「VRミュージアム」では、小林豊の代表作を、VR空間上の美術館に展示していきます。 今回は、日本で100年間に出版された100冊の絵本と画家100人に選ばれました「えほん北緯36度線」をテーマにしております。 完成後は、スマートフォンやPC、VRヘッドセットでアクセスし、作品を鑑賞いただけます。 今後、絵本・テーマごとにVRミュージアムを開設予定です。 宜しくお願い致します。

          小林豊「VRミュージアム」プロジェクト

          「日本の絵本100年100人100冊」

          夕暮れ時、1羽の鳥に導かれ、二人の少年と 1匹の犬は日常を離れて「旅」を始める。背景の高層ビルに反して、そこだけはぽっかりと昭和の空き地の気配。非日常に読者を… ゆうぐれどき、大きな鳥は、まちの時間のなかから あらわれて、ぼくたちを、ちょっとした「たび」にさそいだす。 はじめてみる まちは、ぼくたちのまちと おなじ時間、おなじにおい。 きっと 大きな鳥は しっているのだ。にんげんが、じめんに 線をひき、 その線を、なんども ひきなおすことを。その線をこえて 生きることの

          「日本の絵本100年100人100冊」

          上野山黄落

          晩秋の上野。東叡山寛永寺脇の参道に並ぶ石灯籠。 東京上野は江戸城の鬼門の方角に位置し、 不忍池と寛永寺は滋賀の琵琶湖と比叡山を模したものと言われています。 1998年「上野山黄落」(1250×480)小林 豊 natural mineral pigments on canvas(japanese paper) 1250mm x 480mm 1998 えほん 東京(2019年3月)

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          貴船堀夜話

          現在の「大森ふるさとの浜辺公園」の南端辺から貴船堀、大森東5丁目方面に見えた夜の景色。 中央にはかつての海苔漁従事者の二人が雑談しています。 大森で海苔養殖が盛んだった時代、網元や漁師の瓦屋根、海苔を簾に並べ干す海苔干場が並んでいたそうです。 東京湾の埋め立てが進み、東京オリンピックを前に、海苔漁従事者は漁業権を放棄(東京都等が買い取り)大森の海苔養殖の歴史は幕を閉じます。 2000年「貴船堀夜話」(1250×480)小林 豊 natural mineral pigm

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