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命を使う生き方

若林正恭さんの「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」という本の中に響く言葉があった。

僕はきっと命を「延ばしている」人間の目をしていて、彼らは命を「使っている」目をしている。ゲバラやカストロの「命の使い方」を想像した。

これは、若林さんがキューバの革命博物館を観光中、展示してあるチェゲバラやカストロなど、キューバ革命を牽引した人物らの写真を見て言った一言だった。

この若林さんの表現にどこか引っ掛かった自分がいた。

「使う生き方」とは明日死んでも悔いはないような、ないしは今死んでも構わないような、そんな一生懸命な生き方だろうか。
それに比べて「延ばす生き方」とは、平均寿命あたりまで長く、健やかに生きていく為に先を先を見ながら生きていく計画的な生き方の事を指すのだろうか。

もしこのような解釈であれば、戦争や紛争を経験せずに平和ボケしている現代人のほとんどが「延ばす生き方」をしているんだろう。
僕もまさしくその1人だ。

まあ、それにしても若林さんの捉え方、表現の仕方はおもしろいな〜と勝手に感心していたのだが、ふと先日、谷川俊太郎さんのインタビュー記事の中でこんな言葉が目に入った。

ウォーコップというイギリスの哲学者は、生きることを「生きる挙動:living behaviour」と「死を回避する挙動:death-avoiding behaviour」の二つに分けています。僕には、現代人の行動のほとんどは死を回避する挙動ばかりに見える。「生きる挙動」というのは内部からわいてくるエネルギーみたいなもので、こっちのほうが大事だと思う。この絵本は、死を回避するほうではなくて、生きる挙動について書いている。

これは、若林さんが言っていたあの「延ばす命」と「使う命」に共通するのではないだろうか。

僕の中で引っ掛かった事。
それは、きっと成熟した国の中にいるままでは切っても切っても切り離せない鎖であり、拭いても拭いても拭き取れない汚れのようなものなんだろうなと、、、そう「命を使う人たち」は思うに違いない。

どちらが良い悪いという事ではない。
でも、今の自分はどこか、命を使っていない気がする。
なのに留学中は、今よりは確実に命を使っていたような気がする。
この差はなんだろうか。

2022年、新たな年が始まった。

まだ全然足りない。
今年はもっと命を使う生き方をしたいと思う。

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