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シンポジアしませんか?


シンポジアとエノホイ


この言葉を聞いたことがある人はどのくらいいるだろうか?
おそらくワインを勉強したことがある人なら知っている用語だが、もしその他の方で知っている人がいればかなり博識な方だ。


これは古代ギリシャに関する言葉で
シンポジア「symposia」とはワインを飲みながら哲学を話し合う
いわゆる社交行事を指し、
エノホイ「oenochooi」はその場でワインをサービスする
いわゆる現代のウェイターのようなもので、ソムリエの原型ともされている。

4000年以上もワインの歴史があるだけに、ワインを飲みがら哲学を語り合うなんてとてもギリシャらしい。
様々な哲学者を輩出し、ギリシャ神話は今もなお語り継がれ、アニメや漫画を通してゼウス、ヘラ、アポロン、ポセイドンなどの名前を知っている子供も少なくはないだろう。
また、今世間で賛否両論のオリンピックも元はオリンピアで毎年開催されていたギリシャ人のスポーツ大会が原型なことや「トラウマ」「アレルギー」「カオス」という僕たちが日常的に使う言葉も実はギリシャ語が由来なのだ。


このように、僕らの日常にあるものでギリシャが根源に関わっていることは思いの外多い。
ただオリンピックやゼウスなどは知っていても先程の2つの言葉は知らない人がほとんどだろう。


なぜこの言葉を紹介しようと思ったか


それはこれからの社会で「シンポジア」を再び重宝すべきだと思ったからだ。
というのも、これからますますAIやロボット、その他のテクノロジーが人々の生活をより豊かにしてくれることは間違いない。その上、資本主義という形が続いていく限りこの発展は止まることを知らない。
テクノロジーによって恩恵を受ける一方で職を失う人も増えるだろう。
そして日本においては、追い討ちをかけるように少子高齢化の影響で社会保障のうまみが徐々に減り、経済成長にも目立った変化がない。
そんな期待と不安が混沌とした中で、もう一度見直せることはないかという時にこの「シンポジア」という行いは心にきた。

僕はこれからより重要視されるのは「知識」もそうだがもっと軸の部分である「哲学(考え方)」だと思っている。
ちなみに哲学の定義は専門家の間でもこれといって定まったものがないのが現状らしいので、現在世間一般で今1番浸透しているものを引用しておく。


哲学(てつがく)とは、語弊を恐れずにわかりやすく言えば「真理を探究する知的営み」のことです。世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問です。

引用元:weblio辞書



知的探求的な取り組み
言葉にすると複雑だが僕はシンプルに「考え方」、もしくは以前の記事でも書いた「趣味」の部分ではないだろうかと思っている。


これから先、ますますオートマティックな社会になっていく。
僕は暗号資産系の投資をメインにしており、その界隈の知識はある程度ある。
その中では、まだ社会に浸透していない素晴らしい技術がどんどん開発、実装されてきている。
今回は多く触れないが、その技術の革新的な部分の一つとして取り上げられているものに「人の手を介さないこと」がある。
つまりプログラムによってあらかじめ組まれ、契約等を全て携帯ひとつで誰とも顔を合わせず行える事が今以上に浸透していく。


これによって人同士のコンタクトは明らかに減る。少し寂しいといえば寂しい気もするが生活が豊かで楽になるのも事実であり、トレードオフだと割り切るしかないのかもしれない......。


哲学的な語り合い
では人同士のコミュニケーションが減っていく中で何が大切になるのか

逆説的かもしれないが、人同士のコミュニケーションが減る中で大切になるのは人同士のコミュニケーションだろうと思っている。

もし、シンポジアを「ただ集まって酒を飲みながら話す」という解釈だと、いわゆるサラリーマンが勤務終わりに同僚と居酒屋に行ってキンキンに冷えたビールを流し込みながら愚痴、噂話、恋愛話などを楽しむ事と捉える事も出来る。
確かにこれも現代におけるシンポジアの一つかもしれない。

ただもっと哲学的に「人とは」「お金とは」「幸せとは」などを深く考えてみてはどうだろうか。引用文にも説明があったように、知的に物事を捉えていく事が欠けてはいけないと思っている。
そうすると先程のサラリーマンの例は僕は「雑談」だと思っている。

ただこれは何も雑談が悪いということではなく、もっと己の考えを軸にした深く探求するような話もこれからもっと必要なのでは?ということだ。


時代が変われば幸せの基準やお金に対する価値観が変化するのは歴史を振り返れば一目瞭然だ。
今日の社会では、今まで常識だと思っていたこと、不可能だと思っていたこと、想像していなかったことなどがスピードを増してきている。


いざその時に他人任せや周りに流されてなんとなくな考え方を持っている人は確実に取り残されるだろう。
だからこそ、周りに耳を傾ける事も大事だがもっと自分はどう思い、考え、感じているかを問いただすのもこれから先必要なのではと僕は思う。


現代のシンポジア
世の中の情報はもうあなたの手元に溢れている。
まずは1人でゆっくり色んな情報に触れてみる。
それは自分の知となり哲学の一部を形作っていく。

そして休日に友人でも恋人でもいい。
ワイン片手にお互いの哲学をもって何かのテーマについて語り合ってみる。
ワイン以外ではダメだ。

なんでダメかって?
ワインにはこんな言葉がある🍷


Il y a plus de philosophie dans une bouteille de vin que dans tous les livres.

「一本のワインのボトルの中には全ての書物にある以上の哲学が存在する」

 In vino veritas 

「真実は、ワインの中にある」



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