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小さないっぽと大きな一歩

口癖が“ごはんを頂戴よー”の猫三兄弟と一緒に生活してましてね。挨拶にも“おはよう、ごはんはまだかね”と。兎にも角にもごはん、ごはん、ごはんなのです。ただ、いくらごはんと言われようとも、飼い主ではなく全自動ごはんくれる人間と間違えられようとも、可愛いもんは可愛いのですよ。

そんな全自動ごはんあげる人間が心を打たれた音楽の中にこんな曲があるのです。“猫のプシュケ”って曲です。シンガーソングライターグループのPlay. GooseさんがGoosehouse時代だった頃に、竹澤汀さん、神田莉緒香さん、マナミさんが歌っていらっしゃいます。優しい、可愛い、切ない、が詰まった曲。


さて。


この物語は、小さい女の子が猫に“プシュケ”という名前をあげたことから始まります。二人は仲良しになって、プシュケは女の子に恋をしました。でも、女の子とプシュケの命の長さは違います。二人が小さい頃、プシュケの気持ちは女の子に届いていたのに、大人になって人間の男の子に恋をした女の子には、プシュケの愛の仕草は届きませんでした。

人間と猫の寿命が違うことは、みんなが知っていること。これがこんなにも切ないことって心が気づくには、愛した毛むくじゃらの家族とのお別れを経験するか、この曲に出会うかのどちらかだと感じました。なので、“大好き”という自分にとっては抽象度の高い言葉一つだけじゃ足りないのです。


“君の未来は遠くて
同じ歩数で歩けないだけ”
   猫のプシュケ/Goosehouse

この歌詞を聴いた時、ごはん欲しさに自分のことを見上げながら、足にまとわりついて歩く我が家の三兄弟が思い浮かびました。自分が一歩を歩く時、彼らはスタスタと数歩。プシュケは“歩けないだけ”だなんて強がってますけど、こんなに大きな一歩の差があるんですよね。同じ歩数を歩いても、たどり着ける未来は別の場所。

そしてさらに胸を締め付けること。大人になった女の子の心にプシュケが触れられないこと。

“大人の君へもう届かないけど”
   猫のプシュケ/Goosehouse

プシュケは女の子の気を引くためにタンポポをプレゼントするんです。小さい頃はきっと受け取ってくれていたであろうタンポポ。でも大人になった女の子はきっと他のことに夢中なんだと思います。ただ、最後の最後。きっと二人は小さい頃の様に戻るんです。お互いの気持ちがわかっていたあの頃です。プシュケは最後、女の子のキスで眠るのです。だからそう信じています。


二人が共有する想い出は、きっと優しいことばかりです。そう思わせてくれるのは、柔らかいメロディーと竹澤さん、神田さん、マナミさんの歌声ですよ。それと男の子に嫉妬するプシュケの姿も、想像すると可愛らしくて笑ってしまうんですよね。

この曲に出会ってから、我が家の三兄弟がなんだか色々騒いでいる時に「ありがとよー」と言うことにしました。彼らの言葉は、悔しいことに100%は理解出来ません。ごはんの大合唱の中に“大好きよー”が混ざってるかもしれないのでね。


実はこのお話、絵本にもなってるのです。興味のある方はぜひ。毛むくじゃらの家族がいる方にもお勧めです。

そんでもって、こちらがその曲。彼女達がプシュケ君に“命”と“心”を吹き込んでくれたシンガーソングライターの方々です。ちなみに、Goose house Phrase 03 Wanderingにも収録されていますよ。



プシュケ君。君の名前の英語表記がもしPsycheなら、その意味は“命”や“心”。君の思うとおり、どこかのラブソングよりも甘くて、愛のこもった名前ですね。

小さな黒猫プシュケ君。ありがとね。