見出し画像

【Zatsu】自粛は何をもたらすか

まじめな話

2024年1月1日に大きな地震があり、たくさんの方が被災されました。1日も早い復興と、残された方々の心が少しでも癒されることを願います。

そのうえで、どうしても考えてしまうことがあります。それは「自粛」について。例の感染症の時もそうだった。大きな事件や災害が起きるたびに顔を出す自粛警察不謹慎厨

ずいぶん前になるけれど、自分も水害に遭ったことがある。とはいえ、たいした規模ではないし、それこそ今回のとは比べ物にもならないのだが。その時の(非常に限られた個人的な)記憶から言えば、ことが起きた直後はとにかく自分および身近な人の安全を確保することで精いっぱい。
それが確保できたら、次に生命の安定(つまり衣食住の確保や、みんなと一緒にいること)。そのあとで快適さ。最後に、以前のような豊かな生活への復帰。そんな順番ではなかろうか。

そもそも、自粛のなかにもよくわからないものがある。いやもちろん、マスメディアが津波の映像を流すことによって当時の記憶がフラッシュバックする可能性がある、だから報道上の演出を考えれば映像を流したほうが効果的だが、あえてその映像は控えよう、という意図での「自粛」ならよくわかるんだ。
あるいは、事態の重大性にかんがみて、正月番組の放送を取りやめ緊急地震速報番組に切り替える、そういう番組「自粛」もわかる。
でも、自粛警察がいう「こんなときにお笑い番組なんて不謹慎」とか「国内が大変な時に海外ニュースなんて流している場合か」みたいなのは、あまりに的外れというか、よくわからない。

正直なところ、世間でお笑い番組をやっているかどうかや、海外ニュースが特集されているかどうかなんて、今この瞬間の被災者にとってはどうでもいい話なんだ。そんなところに気を回している余裕はないんだよ。とにかく生きて、安全を確保することに精一杯で、被災していない地域の人たちがどういう生活を送っているかなんて、二の次ではないだろうか。

自粛警察の言動を見るに、被災者の心情を慮って「あれするな、これするな」と言っているように思えるが、実際のところ、そんな配慮は現地には一切届かない。それよりも生きるために、生活を立て直すために手を貸してほしい、というのが「今の」被災者が求めるもの。少なくとも自分はそう思った。

自粛警察は被災者を助けたいと思っているのだろうか。その延長線上での行動なんだろうか。もしそうであれば、現地のニーズに耳を傾けるべきだと思うよ。募金でもいいし、(戦力になるのであれば)ボランティアへ応募するのでもいい。
でも、ただの「自粛」って何か具体的なプラス効果を生むのかな。現地の助けになるのかな。もしかして、悪目立ちして後ろ指さされないようにじっと黙って下向いているだけなんじゃない? それって、被災者のために何かしようというよりは、自分のために防御線を張っているだけ、というのは……さすがに考えすぎか。

とはいえ、そういう自粛警察はやはり全体のなかの一部に過ぎなくて、大多数の人たちは現地の被災者に心を寄せて支援している。匿名発信による悪平等で声の大きなシニカル発言が必要以上に目を引く一方、声なき支援の輪は急速に広がりつつある。その事実が被災者の強い支えになっていると思う。

被災者支援に限った話でもないけれど、「何をしようか、するまいか」の前に「相手は何を必要としているか、そのために自分は何ができるか」だね。その自分がとりうる手段が「自粛」なのであれば、それでもいい。相手のほうを向いて行動を起こしているのであれば。
でも、自粛警察の皆さんの視線の先に、はたして被災者はいるのかな。


これは非常に個人的な、かつ乏しい経験をもとにした感想で、他の考え方を否定するつもりもありません。また、記載内容で気分を害された方がいましたらお詫び申し上げます。


この記事が参加している募集

みんなの防災ガイド

防災いまできること