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レッテル貼りの二次被害

スティグマ(stigma)

は日本語において、

「偏見、烙印、汚点、差別」と訳されたり、そのような意味だと社会的に認識されており、

「精神疾患のスティグマ」≒「精神疾患の偏見という」

文脈で用いられているものも散見される。

「正常」(→折に触れて描いているが、「正常」は定義されていないし、出来ない曖昧なことばである)で在り続け、集団に適合することは、

遺伝子(geneであ、れ、memeであれ)レベルで考えるとき

生き残る術のひとつである。

だから、人間の本質には、

自分たちと異なる者や自分の属する集団の水準を満たさない者に対する

厳しい警戒感と冷淡な態度が、

進化の過程で組み込まれている。

精神疾患のレッテルは、スティグマという大きな二次被害をもたらしかねないものであるし、私も経験・体験上、それはよくわかる。

スティグマはいろいろなかたちをとり、あらゆる方向からもたらされる。

露骨であかさまな場合もあれば、後で考えて解り、傷付くようなきわめてとらえがたい場合もある。

しかし、精神疾患の心理的、現実的な二次被害は、

自分に対する他人の見方だけから生じるのではない。

問題の多くは、(自分に対する他人の見方の影響もあり、)

自分に対する自分の見方が変わることによって生じる。

自分は欠陥商品だ

自分は正常ではない

自分は価値がない

自分は自分が属する集団(または世界)の立派な構成員ではない

などと自分で自分を評価してしまうことこそ、精神疾患のスティグマであり、自分自身へのスティグマでであり、それらをうむ精神疾患のレッテルの二次被害のひとつである。

そもそも、スティグマ(以下、偏見とする)が精神疾患によく結びつけられること自体好ましくない。

そのようなことが行き過ぎると、社会は強靱な回復力のある社会でなくなり、人為的に「病んだ」社会になってしまう。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。

今日も頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

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