見出し画像

02.もう、フィンランド6年目。

Moi!

新型コロナの影響で首都圏がロックダウンとなり、僕は自ら田舎のMökki(モッキ:サマーコテージ)に篭って社会から隔離された環境下で穏やかな日々を過ごしていますが、皆さんはお元気にお過ごしでしょうか?

今回の投稿ですが、

僕がフィンランドに辿り着き、そしてフィンランドに残った経緯。

について書こうかと思います。少し長くなってしまうとは思いますが、読んで頂けると嬉しいです。

フィンランドとの出会い

小さい頃は「ホッケーが強い高校に行って、お爺ちゃんが通った早稲田大学に行って、あわよくばアジアリーグでプレーできればいいなぁ。」と、微かに思ってました。海外でプレーする思いは小さい頃からあったものの「あー、将来日本には住んでないな。」と思うくらいで、そこまで強い「海外のプロリーグで活躍する!」等の願望ではなかったです。笑 


僕のフィンランドとの出会いは中学二年生の時。2011年にフィンランドが男子アイスホッケー世界選手権で優勝した時でした。決勝はスウェーデンvsフィンランドと北欧ライバル対決。どちらのホッケーも鮮やかなもので、当時の僕はネットのライブ配信を映すパソコンの画面に目が釘付けでした。スウェーデンが先制するも、結果はフィンランドがアイスリンクを広く使ったパスワークとスピードのある攻撃で6−1と圧勝!今でもあの試合をフルで見る事があります。興味のある方はこちらから!


あ、ここでフィンランド行きたいって決めたのか!と思われますが実際にこの時点では、「フィンランドでホッケーしたい!」と言うよりも「フィンランドでホッケー観たい!」という感じで、そこまで特別な思い入れはありませんでした。当時はカナダが大好きだったので…笑

ホッケーとは関係なく「あ、フィンランド行きたいかも。」と、なんとなく考え始めたのが確かフィンランドが優勝した年、中学2年生の夏頃。母親が連れて行ってくれたドキュメンタリー映画に使用されていたBGMがフィンランドを拠点とするRajaton(ラヤトン)というア・カペラグループで、その綺麗な歌声にとても癒されてフィンランドの文化に興味を持ち始めました。

留学準備へ

それからは時間のある時に母親とフィンランド展示会に訪れたり、ムーミン展へ足を運んだりしました。そうこうしてるうちに、「フィンランドホッケー強いしフィンランドのこともっと知りたいから留学したい!」と思い始める様になり、少しずつ留学の準備を始めることに。

「アイスホッケーだけを理由に留学するのは勿体ないし、ちゃんとした留学団体を通して留学した方がいいんじゃない?」という母親の助言もあり、AFSという留学団体を通して留学することに。中学三年生の頃には、都内で行われた説明会にも訪れて、留学から帰国した方達の体験談を聞いたりしました。日本の高校も存分に経験したかったので、高校一年生からではなく高校二年生の時に留学する事に決めました。留学を決断してからも色々な苦悩はありましたが、それはまた後日!

このAFSという団体は、ただ留学願望のある者を留学させるだけではなく、一定以上の英語能力、在学する高校からの推薦、高校での一定以上の成績を満たしている等というの規定があり、選定を通過した学生達の留学を支援する国際教育交流団体。そういう事もありアイスホッケーだけじゃなく勉強にも力を入れていました。高校一年生の頃はそこそこ良い成績を保っていましたが、AFSの選定を通った後は、正直に言って高校の成績がみるみる落ちました…笑
選定を通った後もAFSからいくつか課題みたいなものがあり、ほとんどは留学先の文化を調べる事だったり言語を習う事だったり。この時フィンランド語を独学でやるなんて無謀だと思ったので、母親が見つけてくれたフィンランド語のオンラインコースを受ける事に。ちなみにフィンランド語は世界三代難語の一つに数えられています!

留学前は正直「どこの地域に派遣されるんだろう」と気が張っていました。ホストファミリーが決まるのはだいたい留学する2ヶ月前。8月に旅立つ僕の場合は、6月頃にホストファミリーが決まる予定でした。が、まさかの2月にホストファミリーが決まってしまいました。笑 後々ホストファミリーに話を聞くと、「アイスホッケーやってるってプロフィールに書いてあったから、速攻で選んだよ!うちの子供達もホッケーやってるし!」とのこと。その上、現地のチームも紹介して頂きました。うわぁ、マジか。アイスホッケーが文化に根付いてるってこういうことを言うんだなと。皆さん、フィンランドではアイスホッケー最強です。←

ホストファミリーには本当に今でもお世話になっており、感謝しきれません。そのうち、ホストファミリーについても書かせて貰おうかと思っています。:)

いよいよ留学

留学すると決めて約三年。高校二年生の夏、いよいよフィンランドへ。
僕の派遣先は、フィンランドの首都ヘルシンキ。ヘルシンキはフィンランド南部に位置し、バルト海に面した綺麗な港町です。

当時、僕の所属したチームはU18の四部に属するチーム。氷上でのレベルは皆そこそこ高いものの、オフアイスでちゃんとトレーニングする選手は僕を含めて数人程度という様な趣味チーム。上のリーグ、もっと強いチームに行かないか?という話が数回ありましたが、AFSを通しての留学だったので留学期間中はアイスホッケーよりもフィンランドでの日常生活や高校での勉強に集中する方を優先しました。ですが、同じ組織内で上の年代U20の監督から「うちでプレーしてくれ」と熱い勧誘を受けたので、練習場所も同じだしもう少し手応えが欲しかったので喜んで参加させて貰いました。

留学期間が終わる頃、僕は毎日「このまま日本の高校に戻っても満足できるのだろうか?フィンランドでまだまだ上を目指せるんじゃないか?」と、問い続けてました。その頃、フィンランドの女子トップリーグでプレーしてたK.E.さんに相談したところ「紹介できるチームあるよ!」今僕がプレーするチームのジュニアチームのトライアウトに参加する事に。チームもそうだけど、学校も探さないとという事で転学試験を受け、なんとか合格。
チームも見つかったし、転学先も見つかった、次は家を探さないとという事でヘルシンキ近郊の学生の為に安価で物件を提供するHOASという団体に問い合わせ、帰国1ヶ月前に全て整う事が出来ました!

普通なら日本にいる家族と色々相談して決めたんだろうなーと思われます…が、全て母には事後報告でした。「え!残っちゃうの?!」と勿論言われましたが、「じゃあ頑張らないとね。」と承諾してくれました。お金などもそうですが、異国に一人残るという僕の決断を理解を示してくれた母親には頭が上がりません。

と、いう様な流れでフィンランドに残り今に至ってます。

フィンランドに住んで芽生えた思い

現在、フィンランドに住み始めてからもう六年目。もうすぐ七年目に突入します。生活面ではフィンランドの文化にほぼ完全に馴染む事が出来、言語もテストは受けていないものの英語に頼らずにフィンランド語で難なく毎日を過ごせるようにもなりました。ホッケーでは、シニアの三部で100試合近く、フィンランドに来てからはトータルで200試合近くこなしました。日本人でこれだけフィンランドを含めヨーロッパでプレーした方はいないと思います。今の僕の目標はフィンランドのトップリーグでプレーする事。自分自身の目標もそうですが、それが今の僕より若い世代にフィンランドでプレーする機会を与えられる事に繋がって欲しいという思いでプレーしてます。北米だけではなく欧州でもアイスホッケーできる場があるんだよと伝えたいです。

今振り返ってみればフィンランドに来た理由は一つじゃなかったなぁと感じます。一つ一つの出来事が今僕がフィンランドにいる事に繋がっているのであり、沢山の方々のサポートがあったからこそ僕は六年もの間フィンランドで暮らし、プレーする事が出来てます。今すぐに恩返しが出来るような大した人間でもなく、アイスホッケーでもそのレベルに達していません。ですが、いつの日にかこの恩を返すとともに循環できればいいなと思っています。


少し長くなってしまいましたが、僕がどのような経緯でフィンランドに辿り着いたのかについて書きました。次回は「フィンランドでのアイスホッケー」について書こうと思ってるので、楽しみにしていてください!

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

それでは、nähdään!!

Ter. Shuma

Twitter: @shuma_kinebuchi

Instagram: @hawkins_kinebuchi

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?