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異種格闘技戦を戦った論客・鈴木邦男

鈴木邦男さんのHPの管理人さんから追悼文を頼まれたので、何かネタになるものはないかとパソコンのハードディスクを漁っていたら、こんなメモが出てきた。

アントニオ猪木は「プロレスなんて、どうせ八百長でしょう」という世間の冷たい目と戦った。鈴木邦男は「右翼なんて、どうせ財界の手先でしょう」という世間の冷たい目と戦った。
同じ1943年生まれ。二人には似たところがある。
猪木は「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」といって異種格闘技戦を戦ったが、鈴木邦男も実に多くの人と論争した。あれは鈴木邦男の異種格闘技戦だったのだ。

ファイルの日付を見ると、ドキュメンタリー映画「愛国者に気をつけろ!」を観た後に書いたメモのようだが、こんなことを考えていたなんて、すっかり忘れていた。
1月29日の朝日新聞「天声人語」は鈴木邦男を「右や左といった思想の枠に収まらない異色の言論人」と評しているが、私は鈴木さんのそんな言論活動を「異種格闘技戦」と見ていたのだ。

鈴木邦男の戦いは異種格闘技戦だった。

テロに反対する戦い
オウムを擁護する戦い
イルカを守る戦い
反日映画を守る戦い
反原発の戦い
排外主義との戦い
さまざまな死刑囚と連帯する戦い
「自由のない自主憲法よりも自由のある押し付け憲法のほうがいい」という護憲の戦い
最後は「愛国者に気をつけろー」と警鐘を鳴らしていた。
そうそう、2006年には法大学生運動に連帯して「全学連は日本の宝だ。中核派を守れー」と訴えていた。

アントニオ猪木もいろんな相手と戦ったが、鈴木さんの戦いも多岐に渡る。
しかし、鈴木さんを「左右の枠を超えた言論人」と思ったことはなかった。誰が相手でも猪木がプロレスラーだったように、鈴木さんも右翼だったと思う。
「ソ連は崩壊した。左翼は死んだ。左翼なき時代、右翼はどうあるべきか」
鈴木さんはそのことを考え続けていた。異種格闘技戦はその答えだったのだろう。

追悼文にはこんなことを書こうか。いや、もう少し考えよう。とくに締め切りはないのだから。

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