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セルフ出産(ショートショート) 

【生命倫理の問題に切り込むシリーズ】

 セルフ出産

 20XX年、合計特殊出生率は3.0を超えた。0歳から14歳の年少人口も30%を超え、少子化問題は過去のものとなった。
 子供が増えた最大の要因は代理出産の一般化である。今世紀の初め、代理出産は一部のセレブのものだったが、誰でも手軽に利用できる安価なコースが開発され、一般の女性も利用するようになったのだ。
 新しく生まれたコースとは、豚を代理母とするコースである。

 この日、五郎と奈々は5回目の結婚記念日を迎えた。
「ねえ、五郎、そろそろ子供、欲しくない」
「うん、僕もそろそろかなって考えていたところだよ」
「じゃあ、私、産もうかな」
「産む?」
「私ね、セルフでやってみようと思うの」
 セルフとはセルフ出産、「自分で産む」ということである。
「えー!」
 五郎が驚くのも無理はなかった。今は代理出産が当たり前で、セルフを選択するのは、よほどの変わり者だったからだ。
「奈々はITヴィーガンになるの?」
 ITヴィーガンとは、田舎に小さなコミュニティをつくり、IT機器を一切使わずにアーミッシュのような生活をしている人たちのことである。
「それとこれは別だよ。でもさ、やっぱり産んでみたいのよ」
 五郎にとっては寝耳に水の話だったが、奈々は2年前からセルフ出産のことを考えていた。
「ほら、山梨県に旅行に行ったとき、旅館の女将さんが飼っている犬のお産に立ち会ったでしょう。あの時の、赤ちゃんが無事に生まれて安堵しているお母さんの犬の顔や、生まれたばかりの子犬が必死におっぱいをまさぐる姿を見て感じるものがあったのよ。私はこのために女として生まれて来たんだなって思ったの」
 犬のお産のことは五郎も覚えていた。生命誕生の瞬間を見て五郎も感動した。が、犬のお産と人間のお産は別物。五郎はそう思っていた。
「セルフは動物だからできるんだよ。人間には無理だよ」
「でも、ITヴィーガンはやってるじゃん」
「そうだけど、ITヴィーガンの村では、しょっちゅう葬式をやっているともいうだろう」
 五郎の言う通り、セルフ出産のリスクは高かった。今世紀の初め、妊娠・出産による母体死亡率は10万件あたり5件程度だったが、今は1000件あたり5件。出産後一年以内の死亡率も高い。セルフ出産は命がけなのだ。なお、死亡率が激増した原因としては、女性のスリム化など様々なことが言われているが、はっきりしたことはわかっていない。
「でも、犬にできて人間にできないなんて悔しいじゃん」
「そんなことないよ。犬にできないことも人間はやっているんだから」
「そりゃ、そうだけど、なんか悔しい」
 奈々は唇をとがらした。セルフ出産という一大決心を五郎に完全否定されて悔しかったのだ。
 そんな奈々を見て五郎はこう提案した。
「明日、千葉に行こう」
 五郎は中学生の時、学校の社会科見学の授業で千葉のマザーハウスに行った。マザーハウスとは、人間の子供をお腹に宿した豚の代理母が暮らしているところである。
 五郎はそこでお産に立会った。山梨の旅館で立ち会った犬のお産も感動的だったが、人間の赤ん坊が誕生する豚のお産はより感動的で、より衝撃的だった。
 奈々はマザーハウスを知らない。マザーハウスを見れば奈々の気持ちも変わる。代理出産の良さがわかる。五郎はそう考えたのだ。

    ✳︎

 房総半島の真ん中あたり、黄色の絨毯を敷き詰めたような菜の花畑の中にマザーハウスはあった。
 広いエントランスには展覧会場で使うようなパネルが立っていて、そこには子供の写真が貼られていた。
「ここで生まれた子供たちの写真です」
 コンセルジェは写真を指差し、誇らしげに胸を張った。
「出産後も、子供たちはここに来たりするんですか」
「もちろんです。ここが生まれ故郷ですから。同じ年生まれの同窓会もありますし、サークル活動も活発です」
 五郎と奈々はコンセルジェに連れられて館内を回った。喫茶室、食堂、お産に立ち会う依頼人が泊まるゲストルームを見て、依頼人と代理母が共に時間を過ごすジョインルームに入った。柔らかなマットが敷いてあり、あちこちに大きなクッションが置いてあり、代理母と一緒にゴロゴロできるようになっていた。
「依頼人はよく来るんですか?」
「月に1回は来られますね。毎週、来られる方もいます。出産は依頼人と代理母の共同作業ですから、代理母も依頼人の顔を見ると安心するようです」
 ジョインルームの先は、いよいよ豚舎である。
「エアコンはもちろん、空気清浄機も最高のものを使っています」
「わー、いい香り」
「代理母がストレスを感じないよう、癒し効果のある香りを漂わせています。今週はラベンダー、来週は檜です」
 寝室はすべて個室で、中にはベッドと水飲み場とトイレがあった。
「トイレはコンピュータで管理されていて、用が済み次第、洗浄されます。清潔さが第一ですから」
「代理母はベッドで寝るんですね」
「はじめは違和感があるようですが、すぐに慣れます。夜は情操教育としてクラシック音楽が流れます」
 ずらっと並んだ個室の先には代理母用の大食堂があった。
「食事は大勢で食べた方が消化にいいといいますので、食事はこちらで取ります。とっても賑やかです。栄養士が常駐しておりまして、食材はもちろん、有機栽培のものを使っております」
 その先はシャワールームである。
「外から帰って来た時は、必ずここでシャワーを浴びます。シャワーのあとはブラッシングです」
 シャワールームの先の扉を開くと草原が広がっていた。
「昼間、代理母はここで、走ったり、散歩をしたり、蝶やトンボと遊んだり、木陰で昼寝をしたり、思い思いに過ごします。この先の小川で水遊びをする代理母もいます」
 なんていいところなんだ。ここなら奈々も気に入る。五郎はそう思った。
「奈々、ここなら安心だね」
「うん、施設も立派だし、自然も豊かだし、管理もしっかりしている。最高の環境だと思う」
「そうか、よかった。気に入ったんだね」
「うん、気に入った。私、ここで子供を産む」


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