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【試訳】独島イン・ザ・ハーグ【9】

韓日間の状況が切迫していくにつれて、ドハは毎日明け方まで仕事をしなければならなかった。

その中でも暇を見つけては父の暗号を思い出してみたものの、解読の手がかりは見つけられずにいた。

ウンソンは、日本の警察にドハの父親の検視結果を送り再捜査を要請したが、芳しい返事が聞けずにいるとのことだった。

そんなある日、昼休みに公益勤務要員であるケビンが、ドハの元にやってきて話しかけた。

「姉さん、昼ご飯の後は少し休まないと。すぐに働くんですか? 休み時間はしっかり休まないと仕事が捗りませんよ。姉さん、屋上でコーヒーでも飲みません?」

「そうね。それじゃあ、10分ほど風に当たりに行こうかしら」

ケビンの本名はシン・ナラといった。英語、フランス語、イタリア語に精通し翻訳業務を担当していたが、韓国語は少しぎこちなかった。

国籍は韓国だが、父親が外交官であるため、小中高全てを外国で通い、韓国人と考え方が異なる点が少なくなかっ た。

韓国的な礼儀をよく知らないケビンが他の課員たちは気に食わず、たびたび面と向かって怒っていたのだが、ドハはケビンと親しく接していた。

ケビンを見るたびに、日本では韓国人だと仲間外れにされ、韓国では自分があたかも日本人であるかのような偏見に満ちた視線を浴びていた、自身の学生時代を思い出したのだった。

サッカーの韓日戦を観戦したときは特に辛かった。日本に対して粗暴な悪口を浴びせて観戦する韓国の友人たちの中にいて、韓国と日本のどちらの肩を持つのかと、友人たちにじろじろ見られたからだ。

韓国が負けると気分は良くなかったが、日本が負けても周りの韓国の友人たちのように思う存分喜ぶこともなかった。

ケビンはドハのことを、韓国語の中で一番好きな単語である「姉さん(ヌナ)」と呼び、ドハの韓国籍を疑わない数少ない友人だった。

屋上の休憩室へと昇ると、爽やかな風が仁王山(イヌァンサン)の新緑の香りを運んできた。あれこれ雑談していると、出し抜けにケビンが尋ねた。

「姉さん、小さいときに最初に習ったのは、韓国語ですか、日本語ですか?」

「日本語を最初に習ったわ」

「韓国語を習うのは難しくなかったですか? 僕も英語をまず習ってから韓国語を習ったんですが、とても大変でしたよ。

僕はやると決めさえすれば何だって他の人よりも物覚えが良いので、韓国語もできると思ったんですけれど」

「私もとても大変だったわ。小さい頃、父が私に韓国語を教えようと色々な方法を考えたの。単語カードを壁に立てて、持ってこいと言われたこともあったし、ピアノの鍵盤でハングルのパーツを教わったりもしたり・・・」

ハングルのパーツを描いて視覚的に教える他の親とは違い、ドハの父はドハに音を1つずつ聞かせて、これは キウッ(ㄱ) 、これはニウン(ㄴ) というふうに、聴覚的にハングルを教えたのだった。

絶対音感があるおかげで言葉よりも音を先に学んだドハにとっては、この方法がぴったりだった。 白い鍵盤は子音で、黒い鍵盤は母音だった。

父が子音と母音に該当する鍵盤を押すと、ドハはそれに合う単語カードを選んできた。

ドハはそこまで言って急に話を止め、突然携帯電話を取り出し、父が送った楽譜をじっと見つめると、心の中で鍵盤に音を当ててみた。

すると、まるで九九を覚える時に答えが反射的に出てくるときのように、それぞれの音に該当するハングルの子音と母音が頭の中に浮かび上がり、互いに組み合わさったのだった。

駕洛国記は太陽の姉弟が眠りし処に
サンソクウのつがいはハチダイの上宮へ飛び立った
ホクトの上の上宮から タイジョウの方向へ 亀の胸へと潜り込め

「ケビン、ありがとう。本当にありがとう」  

わけも分からずにありがとうと言われたケビンは、追いかけていた鶏が屋根に上ってしまったのを見上げる犬のように、ぽかんとした表情で、走っていくドハの後ろ姿を見つめていた。

ドハは退庁後すぐにウンソンに会い、暗号を解読して見せた。

「駕洛国記は太陽の姉弟が眠りし処に、サンソクウのつがいはハチダイの上宮へ飛び立った、ホクトの上の上宮から、タイジョウの方向へ、亀の胸へと潜り込め」

「驚いたなあ。それで、暗号の意味は一体何なんだ?」

「よく分からないの。だから、ウンソンの明晰な頭脳が必要なのよ」

ウンソンは手で顎を触りながら、夢中になって考えに耽った後、口を開いた。

「『駕洛国記』は、伽耶に関する歴史書の名前だろう。だから、『太陽の姉弟が眠りし処に』『駕洛国記』があるってことじゃないか。『眠りし処』ってのは墓を意味するんだろな。一度、『駕洛国記』について調べてみないとな」

ウンソンがスマホの検索エンジンに「駕洛国記」と打つと、次のような説明がヒットした。

高麗の文宗(ムンジョン)の時代に、氏名不明の金官知州事が編纂した。完全な内容は伝わっていないが、「三国遺事」に簡単にではあるが記録されており、駕洛国(金官伽耶)の歴史理解の一助となる。

駕洛国の始祖である金首露(キム・スロ)王に対する話、新羅に併合されてから高麗までの金海地方の変遷、駕洛国記の王の系譜が記載されている。

「『駕洛国記』は原本が伝わっていないのか。だからお父さんがドハに『駕洛国記』の原本のありかを教えようとしたんじゃないか?」

「じゃあ、『太陽の姉弟』の意味は?」

「手がかりはその前にある『駕洛国記』っていう単語だけだな。『太陽の姉弟』が伽耶と関連があるってことじゃないか?」

「伽耶の太陽の姉弟? 伽耶に関する記録に『太陽の姉弟』ていうものがあるのかしら?」

「一度そこから探してみなきゃな」

楽譜の暗号を読み解いたとき、全ての問題が解けたと思ったドハは、再び深い迷宮に陥った気分だった。

父が一体なぜ「駕洛国記」の行方を自分に教えようとしたのか、父の死が「駕洛国記」と何の関連があるのかといった疑問が、ドハの頭の中で目まぐるしく回っていた。

※※※

ウンソンは次の日、ドハに電話をかけてきた。

「図書館に行って『三国遺事』記載の『駕洛国記』で太陽に関連する記録を全部探してみた。

一番目立ったのは首露(スロ)王の王妃の許黄玉(ホ・ファンオク)だな。許黄玉は、太陽王朝のアユタ国から嫁いできたんだ。

許黄玉が花嫁の輿の船に乗って、海を渡って伽耶に来たから、首露王は島へ迎えに行ったらしい。許黄玉が首露王の前で絹の肌着を脱いで嫁入りの贈り物として捧げる場面が印象的に描かれているんだ。

それで、首露王の『スロ』は、インドの言葉で太陽を意味するっていう記録も見つけたぞ。

だとすれば『太陽の姉弟』は、太陽王の首露王と太陽王朝出身の許黄玉が生んだ姉弟だっていう推論できるよな。

ところが問題なのは、『三国遺事』記載の『駕洛国記』には姉弟が出てこないってことだ。首露王と許黄玉の最初の息子である居登君(コドゥングン)に関する話しか出てこないんだ。

居登君は首露王の跡を継いで伽耶の二代目の王になるんだけど、残りの子供についても記録はないんだ」

「じゃあ、居登王が首露王の一人息子だったってこと?」

 「『駕洛国記』に記録がないからって、首露王と許黄玉が一人の息子しか作らなかったと断定することはできないさ。だから俺は、金海(キメ)金氏の系図を探してみることにしたんだ。

俺が釜山で勤務しているときに偶然知り合った書誌学の教授に、どこに行けば金海金氏の系図を手に入れることができるか聞いてみたら、金海文化院って場所を教えてくれたよ」

「金海文化院?」

「ああ。金海の歴史が文化財の保存に関する仕事をしているところらしい。そこに電話をかけて、金海金氏の系図や首露王の子供について尋ねたら、イ・ヒョジェ先生という方を紹介してくれたんだ。

その先生は、郷土史会会長兼国史資料編纂委員なんだけど、 地域史に精通されていて、伽耶の歴史研究で博士号まで取られた方らしいんだ」

「そうなの? じゃあ、その方に一度会ってみないとね」

「そう言われなくても俺がもう電話をかけておいたぞ。そうしたら、金海に一度来てくださいとおっしゃってくれたんだ」

【10】へつづく

【画像】Pexelsさま【Pixabay】


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