見出し画像

“ファッションの自由”を奪うもの

私が洋服やファッションを好きになったのは、母が大きく影響している。

母の若い頃はそれはそれは美人でスタイルも抜群。
ワイドパンツや、ローウエストのミニスカにホルターネックのショート丈トップス。今の若い子でも勇気がいるシロモノ。そんな服をナチュラルに着こなす若い母の写真を見て、羨ましい、そしてカッコイイと思った。

私を産んだ後も母はおしゃれを楽しんでいた。
フィリピンから日本にやってきた母はショークラブでダンサー兼ホステスとして働き始める。当時の写真を見ると、昔のホステスって感じのスーツをかっこよく着こなしていたり、ダンサーの煌びやかな衣装を身に纏っていたり、見ているだけでもとてもワクワクした。

私が幼い頃、母の衣装を着せてもらったことがある。ぶかぶかだったけど、口紅まで塗ってもらって、おめかしした自分の姿が、本当に本当に可愛かった。それからは母の寝室に忍び込んで母の持ち物を物色したり、中高生にもなると母のクローゼットから洋服を引っ張り出して(勝手に)借りたり。

母は、私や妹が新しい服を買うのにもお金を出し惜しみせず、私のどんなに奇抜で個性的な(今思い返すとダサい)ファッションにも「いいね」とひとこと褒めてくれた。母といると、ファッションがとても楽しかった。

学校の参観日にもクールなセットアップを着てサングラスをかけて登場する母は、「これが私ですが、何か?」と言わんばかりの装いで、他のお母さんよりひと際目立ち、恥ずかしかったけど、自慢でもあった。

しかし、私が中学生の頃、事情が変わった。

継父が経営する会社で働くことになった母は、いつも通りおしゃれをして会社に行っていた。
記憶に強く残っているのが、紫色のワンピース。ひざ上くらいの丈で、袖と襟元にはふんだんにフリルが使われた、こっくり紫色のゴージャスなワンピースだった。仕事するにはかなり目立つけど、母らしいといえば母らしく、そんな服を堂々と着られる母はやっぱりすごい。

そんなある日の夜、母は拙い日本語で継父にこう訴えかけていた。
「会社の人たちに悪口を言われた。会社のお金で(つまり横領して)そんな服を買ってるんじゃないのって」
私はすぐ隣の自室にいたけど、母の声が震えているのがわかった。私は怖くて、母の様子を見に行くことができなかった。

何となく、その日から母の服装が落ち着いてきたように思う。
会社の他のスタッフたちに指摘されない服。どこかで見たことあるような服。そうだ、参観日のときの、他のお母さんたちが着ていたような服だ。私は何だか、寂しくなった。

今までの自由奔放で怖いもの知らずなファッションから一転、大衆化されたファッションをするようになったのがこの出来事のせいなのか、それとも母が単に年をとって趣味が変わっただけなのかは、今も聞けずにいる。

何かが母の“ファッションの自由”を奪ったとしたら、それは「社会」だとか「協調性」だとか「同調圧力」だとか、そういったものだろう。

自由な母から受け継いだ自由の精神が、今の私を作っている。私は世界はもっと個性にあふれてカラフルになっている方が面白いと思うから、世界を彩るファッションは、もっと自由であってほしい。

母は現在、服装が落ち着いた代わりに、孫たちに洋服を貢ぐ日々を穏やかに送っている。孫たち(つまり、私の子供たち)も、母のフリースピリットを受け継いでくれるかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?