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始まりと終わりができるのが人間

これから先、AIができなくて人間にできることは、「始めることと終わらせること」らしいってどこかで聞いた。

人間は不確実性を伴ってもなお、自分の欲望に気づかず「始めて」しまうものなのだろう。

因果と、縁でこの世は動いている。始まりがあれば終わりがある。それを自覚するから始まりはなお大事なのだ。

つまり、始めるには覚悟が必要なのだ。何かを負う覚悟が。

それで自分や周りが少なからず傷つくのをわかっていたとしても。そして、終わらせる意思を持っているのならばそれを終わらせるべきだろう。

後始末、という言葉がある。そして「始末」という言葉にはものの始まりと終わり、という意味があり、本来は物事の始まりと終わり、初めから終わりまでと言ったもの。

「物事」というものは、すでに「始まって」いるからそこに「物事」としてあるわけであり、いきおい「始末」という言葉も、「終わり」「終わり方」に重点が置かれることになる。したがって「始末をつける」と言えば、「物事を終わらせる」ということであり、さらに言えば、「物事を終わらせる」ということ。ちゃんと終わらせる、ということ。

さらにサンクコストという言葉がある。そこに時間やお金を費やした分、コストをかけた分、その物事から離れ難くなる。埋没費用ともいい、その事業のその後の意思決定に影響を及ぼす。

これは人間関係においても同様で、だからこそ「始まり」には意識を使って決定しなければならない。一度始めたものは、なんらかの形となってアウトプットされる。

その人の幸福、不幸に繋がるのか、はたまた周囲になんらかの影響を及ぼすのか。

人間は複雑だ。社会という中で生きている限り、その関係性の構築の輪から抜け出すことは困難である。そこをどう折り合いをつけてうまくやっていくのか。

人間はほとほと難しい。

しかし、本質を見ればシンプルだ。

行動したものは結果がある。行動し続けるからこそ、結果がある。

継続するには、心の、想いのパワーが必要だ。その強さはどこからくるのか(問い)。

AIにはないであろう、意志の強さは、どこから生まれるのだろうか。

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