見出し画像

紡いでいくもの

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。桜も満開、春も本番といったところで寒暖差があれど気分は少し、明るくなってきたでしょうか。

私は年末年始以来の会津に帰ってきています。祖父が急逝したためです。年度始めで突然の別れが来るなんて、友人知人が異動する最中、本当の別れもあるなんて思っても見ませんでした。

高齢のため、すぐに通夜と葬儀が執り行われ故人との別れはあっという間でした。

私は故人の一番孫として生まれ、会津に帰る日常の中にそのルーチンがあったので、それがなくなる日常がまだ、考えられずにいます。

祖父は、少し背負っているものがあり寂しい人でした。花と動物が好きだったのもきっと、それらは自分を全て受け入れてくれるものだったからという理由があるのかもしれません。きっとだから芸術も好きだったと思う。

今の私があるのは、祖父と祖母の影響が大きくあると思っていて。それは、祖父母と遊ぶ中に物事への工夫や発見、一緒に何かするという楽しさを子供の頃にたくさん経験したから。

そこで無償の愛というものを受けた気がしています。

私の自己肯定感にはそれが大きくて、生きていく突破力や勢いや、私はこれでいい、私が決めていく、という強さもそこで覚えたと思います。

そして、人がいるという事のありがたさも、その時はわからなかったけれど大人になってから思い返すと祖父母にお世話になった事に遡る気がしています。

生きるということは、誰かのお世話になるということ。誰かの慈悲を受けながら生きているということ。ならばそれを日常で忘れないように生きていくことが、人生の質を高める事につながるのではないでしょうか。

人に施しを受けながら私たちは生きている。人間は自然界では最弱の生き物だからこそ、さまざまな繋がりの中で生きていかなければならないのだと思います。人と人の物語を私たちは、紡ぎながら生きている。その人それぞれの幸せを追求する権利が、私たちはある。いろんな人の死を最近身近に感じているからこそ、死について多く考えます。

今回の葬儀で、弔辞を初めて読み上げました。

祖父との思い出が多すぎて、途中で準備していた手紙の他に、つらつらと祖父に言葉をかけてみました。不思議な感覚で、時間を忘れてしまった。

私の言葉が、祖父に届いていることを祈りながらそして、まだ周りにいるような気がしているので49日まで祖父を思いつつ、過ごしたいと思います。

じぃちゃん、本当に色々親切によくしてくれてありがとう。一生懸命、恥ずかしくないように生きていこうと思う。いつか私もそっちにいくことがあると思うけど、その時はまた「りかきたかー」と言ってほしいです。また、じいちゃんとお父さんと、金麦をその時は飲み交わそうね。本当にありがとう。その時まで、さようなら。

わたしの文章を気に入ってくださったら、サポートしてくださると嬉しいです。 いただいたサポートは今後のクリエイターとしての活動に使わせていただきます! 寂しさや悲しさをちょっと支えられる文章を書いていきたいです。