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インドのアフガニスタン大使館閉鎖の意味

10月1日のTBSの報道によると、インドのアフガニスタン大使館は同日を以って閉鎖をすると発表した。インド政府がタリバン暫定政権との関係構築を目指しており、大使館への支援を縮小したことで人員や資金が不足して適切な業務ができなくなったと報じられているが、その意義について論じられていない。本稿はインドのアフガニスタン大使館が閉鎖したことは、アフガニスタンが南アジアから中東へと帰属が変わりつつあることを示していることを明らかにする。

現在のアフガニスタン国家の原型は1747年に建国されたドゥッラーニー朝であり、それ以前は最大民族パシュトゥーン人を初めとする各部族が群雄割拠する中世のままの地域であった。インド亜大陸を植民地にしようと画策していたイギリス軍は、現在の印パの国境地帯を治めていたシク王国を支援して、1839年に第一次アフガン戦争を起こしたが、最終的にアフガニスタンを併合することはできなかった。その結果、1858年に成立した英領インド帝国は西は現在のパキスタンまでを版図とした。現在の南アジア地域協力連合(SAARC)はインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、ブータン、モルディブ、アフガニスタンで構成されているが、この10ヵ国のうち中国との緩衝国であったネパールを除くと、アフガニスタンのみが英領インドに含まれていなかったことになる。

2001年にニューヨークで起きた同時多発テロ事件によって、アメリカのブッシュ大統領はアフガニスタンで活動していたタリバーンをテロリストと断定し、アフガニスタン戦争を開始した。アメリカの支援を受けて成立したアフガニスタン・イスラム共和国新政府や国際テロ組織アルカイーダなども加わり、三つ巴の戦争は2021年に米軍が撤退するまで続き、アメリカ史上最長の戦争となった。しかし、駐留米軍の撤退によってタリバーン政権が復権し、ジョー・バイデン大統領は国内外から拙速であるとの批判を受けることとなった。欧米を初めとする世界の国々は、タリバーン政権が過去に女性の権利を著しく制限していたことなどを理由として、タリバーン政権をアフガニスタンの代表として認めずに経済的援助を凍結した。

このような状況の中、2023年10月1日にインドのアフガニスタン大使館が閉鎖された。アメリカが樹立したアフガニスタン・イスラーム共和国は本土では実権を持っておらず、外交に関してはほぼ機能していなかった。また、インドからアフガニスタンに向かう民間航空機はすでに就航しておらず、ビザの発給業務も意味を為していなかった。大使館閉鎖の影響は実生活においてはないと言えるが、伝統的に中央アジアと中東と南アジアの接点に位置していたアフガニスタンという国が、英領インド帝国から国名を継承した現在のインド共和国にとって、自分たちとは異なるルーツやアイデンティティを保持する中東の国として認識されるようになったと言える。インド側の要因としては、先日のG20サミットでの国名変更問題と同様に、国内のヒンドゥーナショナリズムの台頭があり、国名変更問題からカナダのシク教指導者殺害を経て、アフガニスタン大使館の閉鎖へと連続的に推移しているのがわかる。

つまり、インドのアフガニスタン大使館閉鎖は、アフガニスタンが南アジアから中東へと編入されつつあることを象徴している。アフガニスタンは現在も南アジア地域協力連合(SAARC)の構成国であるが、近い将来に離脱する可能性があると言えよう。

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