AIが出てきて筆を折った人を突き放してはいけない。レモンの皮を馬鹿にしてる僕らはレモンの皮を通ってきた大人。
どうも、尾崎です。
主題の通り、AIが出てきて、筆を折った人たちの話したいので書きます。
最初から「マイノリティ気取れるからやってて」「努力するフリしてから辞めるムーブで自我を保ってる」みたいな人は、そもそも目的の方向性が違うからやめていいと思うんだけども
考えてほしいのは「絵が好きではないが、絵に従事したい」というタイプの人。
実をいうと、僕もこのタイプで「隙あらばノートに落書きをしてた、チラシの裏は僕の世界だった」人とは感覚が違ってて
漫画を描いて友達に見せると「おもれー、もっと描いて!ww」って言われると嬉しいから、その人を楽しませるためのエンタメの手段だったし、絵描きを志したのは、小説をかける友人とノベルゲームを作るためだった。
絵を描いて喜ばれるのが好きなのであって、絵が好きなわけではない。
みたいなのに近いかな。
絵は手段、と言い切るほど冷めてはいないし
そもそも上手くなる過程は楽しいから、普通に楽しいよ。
ともあれ、アイディアとは一面性ではないことを言いたい。
「好きだからやってる。」人だけが集まると、その分野は衰退する。
これは「いやならやめろ、教えない、目で見て学べ」が主体の古い伝統文化の大半にも言える。
好きだからやってる人は、好きじゃない人に寄り添うのが下手なのだ。
ほかに選択が無いときはそれで良かったんだけど
現代において、特別「これが好きだァー!」を持ってない人は、2~3個の中から、好きそうなのを選択できる。
だから、努力が報われそうな場所へ行ってしまう。
それだけ、現代において選択を変えるということは、簡単なのだ。
「でも、Xとかで辞めます宣言してる人はかまってチャンだから消えればよくない?」
という意見についても、半分違う。
構ってほしいだけなく、本当に不安な人も一定数いる。
少しだけ、道徳的な話になるけど
子供が「もうやめる!」って言ってて「そっかじゃあやめな、そのモチベならどうせやらん」って突き放してる親がいたら「なんだこいつ」って思うと思うんだけど
今から絵を描こうとしてるけど、AIがいるから自分が描く必要あるん?って疑問にぶち当たってるのは、当然ながら
「何かで努力したことがある大人」
ではなく
「初めて努力の価値に向き合う子供」
なんだよね。
努力したいけど、努力が実らなかったらどうしよう……って不安になってる子供なんだよね。
ちなみにここでいう子供というのは、実年齢に限らず
これから初めて新しい努力と向き合おうとしてる人のことね。
そんでもって、不安を乗り越えれば
可能性をもってる未来ある若者なんだよね。
【驚きのアレ!?で油汚れがキレイに落ちる!!!】
これを見たとき「まさか今更レモンの皮じゃないだろ」と思う人いると思う。僕もそう思いながら動画をクリックすると思う
(もうすでに伊藤家の食卓とかではなく、こういうコンテンツは動画だ)
それでなんと引きに引いて出てくるのは「レモンの皮!」だった時
「は?今更?この動画いる?」と思う人、いると思う。
僕もそう思う。
でもそれは、僕らが伊藤家の食卓を見てきた大人だからであって
ああいう動画の対象は、これから大人になってシンクの油汚れと対峙することになる、大人になる途中の子供だ。
老害なんて言葉もあるけど、人間は年を取って経験を多く積むと
自分が知ってる程度のことは誰でも知ってると思い込むんだよね。
(自己肯定感が低い人ほどそうなる)
レモンの皮を馬鹿にしてる僕らは
レモンの皮を通ってきた大人で
努力と挫折を繰り返してきた経験だけが多い
「何かが障害になっただけで辞めるやつはやめていい」
という、世界の真実に気づいてる大人だから。
真実であることは、たしかにそう。
でも相手はその真実にこれから向かいあう子供である可能性を考えなくちゃいけない。
彼が「好きじゃないけど文化を成長させる人間」であった場合
冷たく突き放したら、文化の成長が一人分止まるからだ。
まぁ、衰退とか言われてもピンとこない人もいると思うから
打算から作る人が減ると
面白い漫画が減る。とかだとわかりやすいかな。
スパイファミリーとかね。
SNSが出てきたときに、同じ子供がたくさん現れたことがある。
上手い絵師さんってこんなにたくさんいたんだ!
アレ、上手い人に依頼が簡単にできる時代なら、俺要らなくね?
って子供がたくさん誕生した。
その時に立ち会ってる子供側だったからよくわかる。
その時、大人がかけるべき言葉は、ネットが出てきたくらいで辞めるなら
どうせ続かないから辞めていい。ではなく
「ごめんね、おじさんたちも仕事だからSNSに絵あげるのやめれないけど、絵をあげて評価もらうのは楽しいから、邪険にせずに、もう少しやってみたらいいよ」
なんだよね。
わざわざ凹んでる子供を探して、そうやって声をかける必要はないけど。
不安になってる子供が目前にいたら
「わかるよ、おじさんも自分の時代にAIが出てきたら悩んだかもしれない。でもそのうちわかるよ、楽しいからやってるんだって」
という、隙あらば寄り添って自分語りおじさんムーブを心のうちに飼うことだ。
それが大人だろ
(声でかめ)
間違っても「いやなら辞めていいよ、これくらいで辞めるやつはどうせ辞める」ではないだろ。
「無駄な努力をして後悔」したのは自分であって、その子供はこれからするんだ。
未来のためにも、はやく辞めた方が良いなんてのは、大人の勝手な都合だ。
努力をしてきた結果手に入れられなかった、主人公になれなかったおじさんごっこしてる、自己陶酔おじさんのすることだ。
おじさんたちさ、頼むよ。
大人になれよ。
子供に現実を突きつけるな。
現実を半分混ぜた夢を見せろ。
大人だろうが!!!
子供にサンタクロースの話すんな!
自分で気づく時まで、寄り添え!!
大人になるってのは、現実を知って絶望するということじゃない。
先の絶望から子供を助けられるってことだ。
かっこいいこと言えたので、ここで終わります。
このセリフ、漫画に使いたい。
じゃ。
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