無職日記〜心のよりどころ〜

noteに投稿をするようになって、タイトルを休職日記と銘打って投稿をしていたが、去年末に正式に退職してから、もはや休職ということでもなくなったので、タイトルを無職日記にしてみた。履歴書上空白期間できてからはや5ヶ月———。なんとなく半年以上空白期間をあけるとよくないなという自分のラインがあったが、なんだかそのラインをこえてしまいそうである。正直不安しかない。当初は開き直って転職活動をしていたが、6,70社以上も応募し、いまだに決まらないとなると流石に気力も落ちてくる。特に最終面接まで行って落とされたのはキツかった。最終的な不採用理由はおそらく(エージェントの文言から察するに)スキル不足ということであったが、スキル不足なら一次面接や履歴書上の経歴である程度わかっているはずである。にもかかわらず、お互い時間を使った上でその理由で落とすのは効率が悪いのではないかと思う。本当の事情はわかりかねるが、少し期待していただけに愚痴を言いたくなった。

 さて、こうやって転職活動をしていると、面接でもプライベートでも改めて転職理由ややりたい仕事を尋ねられる。前者に関しては本当のことを言うと適応障害で仕事どころではなかったということだが、そこは地元に戻りたかったとか適当な理由をつけて話せばなんとなく会話は成立する。もし、本当の事情を知ったところで、プライベートの知人であれば、察してとやかく突っ込んでこない。もう周りもそういう年齢である。ただ、後者のやりたい仕事については色々と答えに窮してしまうことがある。本当にやりたいことなんかないし、自分はこういう仕事が合ってる気がするんだよね、と言ったところで今の年齢でそれで転職しようとするのはなんだか陳腐になってしまう。だいたい、仕事が続けてたらそれが天職になっていた。そういうストーリーの方が好まれる。

 それともう一つ、自分が転職サイトの求人を見ていて、なんとなく興味が惹かれるものというのを言語化するのが少し難しい。つまり、なぜ自分でも興味を持ったのかよくわかっていない。なんとなく良いと思った、それだけだ。だからやりたい仕事は何と言われると整理を要する。
 その中で、一つ統一性がある答えを導くならば、働く上で心の拠り所になりそうな仕事をやりたい。と思っている。たとえば、自分は金融関係や住居の設備・資材メーカー等の求人に食いつきがちなのであるが、それはなんとなく生きる上で役立ちそうだからである。それは、例えば、家を借りたいと思った場合、不動産業界に勤めている知人の顔が頭の中に出てきて、相談してみるかということがないだろうか。その場面と似たようなもので、なにか困ったことが発生している人に対して、なにかアドバイスができる立場になっていきたい、誰かの頭の中に自分を想像できるようになりたいと思っている。それが今後目指していきたい姿である。もちろん自分自身がそういうものを知っておきたいということもあるが、要はそういった誰かの役に少しでも立っていたいという思いをひっくるめて心の拠り所になる仕事をしたいと考えている。逆に、この仕事をして何の意味があるのだろうと自分の中で思ってしまうと途端に熱量が落ちてしまう。

 ただ、流石に社会人になって10年以上過ごすと、どんな仕事であってもそういう熱量を無くす瞬間に出くわすということはわかっている。非効率で、誰の役に立っているかもわからない、ただの社内政治のための業務だとかおそらく無限にそういう仕事は溢れている。そういった瞬間に出会った時になんでこの会社入ったんだっけと改めて自問自答した時に、もし、心の拠り所があれば、少しは踏みとどまれる材料になるのではないか、と思った。この業界自体は人の暮らしに役立つと思って入ったんだなぁと思えれば、まだ気持ちが完全に切れるまでの猶予が伸びるかもしれない。少なくとも今は自分はその思いで転職活動をしている。理想論かもしれないが。

 でも、多くの人は言い方は違えど、そういった拠り所を探して就活をしているのではないだろうか。本当に純粋にやりたい仕事に携わっている人ももちろんいるだろうが、たとえば大手の会社に行きたいという人も、結局は大手という世間からの信頼を拠り所にして目指しているのではないだろうか。それは言葉を変えれば価値観の違いということにはなるのかもしれないが、いずれにせよ、長く続けられる仕事というのはそうやってそれぞれ何らかの思いを持って取り組まないとやっぱりどこかで心が折れてしまう。だって、実際ほぼ全ての仕事は、どれだけ自分が人の役に立ちたいと思っていたとしても、絶対に自分がやらないといけないということはないのだから。逆に、もし、一人抜けたぐらいでぐらつくような業界やシステムであるならば、それはその組織がおかしいということになってくる。

 上記に書いたことは、学生時代にもっと深く考えるべき事柄なのかもしれないが、いかんせんふわっと生きていたせいで、今更このように葛藤しているところである。これはもう自分なりの悪あがきである。転職活動をしていて、20代だったら、このスキルを身につけていれば、仕事をしながら転職活動していれば、そのような考えればキリのない後悔が襲ってくるが、もうそんなことを言っても始まらない。だから、精一杯悪あがきをした上で、後悔してやろうと思う。晩節を汚すベテラン選手のごとく、往生際の悪さを全面に出していきたい。

 後悔といえば、人生何周目かわからないことで有名な芦田愛菜が、人生に行き詰まったときにどのように考えるかという質問に対して、「自分自身で全てを決めてしまったら、うまくいかない時に自分を責めて苦しくなるから、はじめからそこ(結果)に向かって進んでいるだけと考えるようにしている。」というような、まぁまた聡明な回答をしていたらしいのだが、なんだかこの回答は自分の中ですごく刺さるものがあった。

 自分は、高校時代の進路から半ば強引に自分から親に直訴して行きたい大学を決めたことがある。それからというもの、あらゆる可能性を排除して自分の生きていく道を模索しなければならないと思っていた。だから素直に他人にも相談できなかった。結局、大学卒業までに自分のやりたいこともみつからず、それから現在まで、なんともつかみどころもなく、うだつの上がらない状態になってしまった。その時に、真っ先に誰を責めたかというと自分自身だった。今までの選択肢は全て自分が決めて進んだものだという自負があったから、その分納得できる部分も多かったが、うまくいかなかったときに完全に自分にナイフが突き刺さった。そうなって責任を感じた場合の最後の選択肢はなんとかせずに踏みとどまったが、頭の中ではそういう想像は繰り返された。だから半ば運命論的な芦田愛菜の回答は、心を軽くする一つの哲学かもしれない。運命論にも色々意見はあると思うが、自分にとっては救われた回答かもしれない。

 こうやって長々書いてきたが、冒頭に書いた通り、転職活動に疲れてきた。ただ、焦りと不安に流されて決めるのは良くない結果を招くことは知っているので、ここが正念場だと思い、悪あがきを続けたい。

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