ジャニーズを応援するという罪・ジャニー喜多川を受け入れられなくてジャニオタを辞めたあの頃の自分へ

⚠︎性的被害についての記述が全体的にあります。

私がジャニー喜多川についてブログを書くのはこれで2回目である。1度目は彼が死んだとき。そう、それは堂本剛の事が大好きだったときでもある。内容はやはり彼に対して、そして愛する人がくそきしょいあいつに向ける愛への「葛藤」だった。

このブログをnoteに載せるのははじめてで正直かなり恥ずかしい。私はインターネットでたくさんの人格を所持するのが好きだ。しかしそれが交わることは決して許されない。だがそんな事よりもわたしの、2019年のわたしのコイツに対する憎悪とキラキラの混ざった気持ち悪くて可愛らしいクソ幻想をもう一度だけ2023年に持っていきたかった。そうしないと見えないと思った。

自担の見る彼と私が見る彼は異なるのか重なるのか知りたかった。

「ジャニーさん」夢幻は遥かユートピア

これを叶える努力をし続けていたら私は今もジャニオタだったのかもしれない。小児性愛者を擁護して被害者を批判するようなタイプの。まあ結局、この文章を書いた数年後わたしはジャニオタを辞めることになる。もう、全部気持ち悪かった。堂本剛がジャニーのことを喋るたび吐きそうだった。何度も何度も喋りやがる。病院でキスしたら思ったより音が鳴って恥ずかしかったみたいな話を聞いた時はさすがに終わりを悟った。

少し話が逸れるがこいつが小児性愛者なのが悪いのではない。少年を護るべき大人が立場にかこつけ尊厳を無理矢理押し込め心も体も傷つけているというのが気に食わない。というか許せない。お前は今すぐこころのノートを開け。馬鹿か。道徳0解散。死んだ方がいいだろ。死んでるけど。

ぶっちゃけジャニー喜多川のことを行きすぎた擁護するジャニオタもおかしいと思う。自分や身内が同じ事されていて性と青春をひん曲げられても擁護できる奴だけ言っとけ。あとわざわざジャニーズのYouTubeのコメ欄に「こいつらも掘られてんのか」とか「ジャニーにちんぽしゃぶられた奴らの集まり」とか書く人間は一回同じ目に遭ってみろよ。こういったコメントをするのは心理的に男性が多いと思うがこの一つ一つが男性の性被害への軽視に繋がっているのは明白だ。そもそも野獣先輩ネタあたりも面白がっているのは男性がほとんどだと思うがあれ訴えるべきだと思う。野獣先輩が一生見つからないのが彼が命を経ってしまったからだったらどうするんだよといじめを見かけるたびに思う。男性だからという理由で面白がられていい性被害、性的嗜好なんてこの世にはどこにも存在しない。だがジャニーお前はもちろん性的嗜好という括りにもちろん含まれない。お前のやった事は暴行。性的暴行。

この怒りはいつか消えるのか。許せるのか。消えるとしたら私が幼少期の私の気持ちと向き合って全て許せた時。それだけは分かっている。そしてジャニーズのアイドルが我々にとって輝いて見えるのは、光があって陰があるし、陰があって光があるから。そんなのだってちゃんと分かっていた。あーあ剛だって被害者(仮)なのに。爺さんにキスするあんたを受け入れられなくてごめん。

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