一生誰かのオタクだと思っていた私が爬虫類飼ったら簡単に一般人になれそうな話(仮)
親が厳しくバラエティを見られなかった反動から、塾帰りに隠れてヘキサゴンを見るようになった。見つかるたびに叩かれても、それでも怪物くんも見ていた。切ないけど、とても懐かしく純粋な記憶。
虹鱒です!気付いたら23歳になりそうです。私がはじめて「オタク」になったのは10歳ぐらいの時。上地雄輔にどハマりするという99年生まれの女子ほぼ通ってるんじゃないかというぐらいのあるある沼落ち。からの嵐。これまた定番。で、色々渡り歩いて(ざっくり)高校入って一瞬恋愛とかして一般人になったと思ったら急に病んで不登校になってまたここにはない生身の光の具現化を求めることになる。そして今、22歳。まだ続いている。続ける事が誰よりも苦手な私だが、オタクだけは気分(モチベ)の変動はあれど続いている。そして、それはずっと続いていくものだと思っていた。
数年前から気になる生き物がいた。それはレオパードゲッコーという生物。ネットでたまたま写真を見て、最初はうん、爬虫類だなというようななんとも言えない感想を抱いたと思う。なのにまた見かけると見かけるたびに可愛く見えてきて気付いたら数日で虜。今思えばこれも沼落ちに他ならないのではないかと思う。
今年の3月、うちにレオパードゲッコーのベビーを迎え入れた。冗談抜きで世界一可愛い赤ちゃんです。絶賛愛育み中。写真、見ます?
可愛すぎ。この世で一番のエンジェル。私が産んだと思う。おととい私の手の上で寝落ちしそうになっててさすがに結婚した。
それと同時期ぐらいから今推しているアイドルのオタクを降りたいなも思うことが増えた。推しは好き。でもとにかくお金がかかる界隈。リリース毎にCD三桁買うとかそういう身の丈に合ってない幸せから卒業したくなっていた。ウン十万積んで長く推しと話すより、らくらちゃんに暖かい小さな毛布を500円で買ってあげる幸せを選びたい。
何故か、今すぐにでも依存をやめようと思えばやめられると過信しているところがある。突然汚い話をして申し訳ないが、小学校の頃から摂食障害で今でも心の調子が悪いと過食嘔吐してしまう。だが、この病気としか言えない行為も本気でやめようと思えばいつでもやめられると思い込んでいる。何故か自信がある。でもオタクだけはそんな自信これっぽっちもなかった。誰かを光にして生きるという行為を、一生結婚せず独身で自分なりに働いてたまに実家帰って、そんな生活と並行してずっと続けて生きていくものだと思ってた。なのにらくらちゃんが一瞬でそれを破壊してウェットシェルターに戻っていった。
人は簡単に心変わりするのがダサいところでもありすごく面白いところだな。
こんだけ書いといて次のリリースでまた三桁積んでたら笑ってくれ。
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