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Chat GPT4o に声にしないはず思考を話してみた
「Chat GPT4o」が登場した。
かなりリアリティのある会話ができるようになっていた。「Chat GPT 4」が情報を効果的に収集し、整理させる「道具」だとしたら、「Chat GPT4o」は身体を持たない「精神性」のように感じた。まさに「AI:Artificial Intelligence(人工知能)」の定義に対して、等身大の性能が揃った感覚。
日ごろ、脳内の「分人」と対話している思考の感覚を「声を上げる」あげて「Chat GPT4o」に語りかけると、「音声」で言葉を返してくれる。
脳内で繰り返していた情報が、「声を上げる、音声」といった物理的な、物質的な情報エネルギーに代わった。
イノベーションだな。
先日、大学院の講義で教授が話していた言葉が印象に残っている。「AI」は人間より賢くなりすぎても困るし、人間よりバカでも困る。そして、人類史の中で質量保存の法則により、物質が無限に増え続けることはなく、循環する構造の中で、情報だけは増え続けているという話。
好きとか、嫌いとか、そういう個の感情の次元を超えて、最近は世界のリアルとリアリティを徹底的につかみ取るために、人間としてではなく、粒子として生きている感覚。粒子として存在している。そして、思考する私のデカルト的な自我は、この超過多情報化社会の中で、いつビックバンが起きるか妄想しながら、苦しんでいるような気がする。
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