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たぶん、まちがえている村上春樹の小説論

こんにちは、ジョンガルです。
前回投稿してからだいぶ月日が経ちました。
不定期投稿といえど、いいかげんにせい、という月日が経っています。
しかし最近、こんなぼくにも、スキをしてくれる人が現れて、それでやる気がでたので投稿してみます。
…で、なぜか村上春樹論
みなさん、村上春樹の小説は好きですか?
いままでいろいろな人にこの質問をすると、大好き、という人と、大嫌い、という人がいて、どっちでもない、という人は少ないみたいですね。
嫌いな人はまさに蛇蝎のごとく嫌っているようで、こういうところで話題にすると、要らぬ反感を買いそうでこわいです。
かといって好きな人もこわいです。
本当に好きだから。
以前、飲み会で会ったハルキストの女性に、不用意な発言をしたら、キッとなって怒られました。
どういう発言かというと、以下のような発言です。
「村上春樹の小説に出てくる男ってさあ、なんだかんだ言って女をバカにしているっていうか、もっというと女性差別みたいなところがあるようなあ」
いやあ、やっちゃいましたね。
これはもう紛れもない問題発言です。
SNSなら炎上必至。NOTEでも大丈夫かな、心配です。
これに対して、ハルキストの女性は、村上春樹氏が奥さんをとても大切にするフェミニストであることを、たくさんの例を挙げて説明してくださり、ぐうの音も出ませんでした。
だから、村上春樹を好きな人もこわいです。
ぼくはどっちかというと、どっちでもない。非常に珍しい好きでも嫌いでもない派です。
で、なぜそんなぼくが村上春樹の小説についてものを申すかというと、もう黙っていられなくなっちゃったからです。
きっかけは、韓国人のイム・キョンソンさんが書いた『村上春樹のせいで』という本です。
この本はイム・キョンソンさんが村上春樹の小説を読み継いでいるうちに、すっかりそのとりこになってしまい、やがて自分自身も小説を書くようになり、そうなるに至った心象を含めて、村上春樹の伝記をなぞって描いていこうという、ふんわりした本です。
この本の中に書いてあったあるエピソードによって、いままで疑問に思っていたことが突然ビビビビビビとつながってしまったのです。
黙っていられなくなった件は、そのことです。
そのエピソードとは、村上春樹がアメリカに行ったときに、人知れずくるまを飛ばして、ある作家の家を眺めるだけで帰ってきたという話です。
その当時、すでに村上春樹は作家として有名であり、ちゃんとオファーすればその作家が会ってくれたはずなんですが、なぜか村上春樹は会わずに、家の外から眺めるだけで帰ってきたというのです。
これはたぶんその作家のそうとうなファンで、恥ずかしくて会えなかったんじゃないかと思うのですが、みなさん、その作家って誰だと思いますか?
レイモンド・カーヴァー? 違います。
ジョン・アプダイク? 違います。
J・D・サリンジャー? 違います、違います。
それはなんと、スティーヴン・キングです。
意外じゃないですか?
かのホラーの帝王に、村上春樹はなぜそれほどまでに恋焦がれていたのか。
しかし村上春樹はエッセイの中で、スティーヴン・キングについて書いたことがあります。
かなり高評価していたんですが、それを読んだときも、「なぜ村上春樹がキング押しなの?」と疑問が湧きました。
いや、それどころか、ひねくれ者のぼくは「売れっ子作家に媚びやがって」くらいに思っていたのです。
でもたぶんそういうことではないのです。
スティーヴン・キングと村上春樹の共通点はなんだろう。
ぼくが見つけた共通点はふたつあります。
でも、そのふたつを発表する前に、おことわりしておくことがあります。
それはこの文章のタイトルにもあるとおり、ぼくの推論はたぶんまちがえている、ということです。
単なるぼくの妄想なので、まあ軽く読み飛ばしてもらってかまいません。
さて一つ目を言います。
それは、二人ともファンタジーの作家である、ということです。
「なに言ってるんだ、お前、キングはホラーだし、村上春樹は純文学だろ?」
そう言って怒られたら、ぼくはそのとおりです、と言って引き下がります。
しかし、村上春樹は純文学といっても、スリップストリームの文学だと思うのです。
つまり、ミステリーやSF、ファンタジーなどのジャンル小説と純文学の境界を解体した文学だと思うのです。
で、村上春樹はたとえば「指輪物語」みたいなファンタジーのストーリーを純文学として書く、という方法論を採用しているように思われます。
そのわりにいままでそういうことを言っている評論家や研究者の本を読んだことがないので自信がありませんが、少なくともぼくが読んできた村上春樹の小説は、ぜんぶファンタジーの構造を持っています。
その証拠に、といってはなんだか偉そうで、「お前、天狗になってんじゃねえよ」と叱られそうですが、村上春樹は『海辺のカフカ』で世界幻想文学大賞を受賞しています。
この賞はファンタジー作品を対象にしたアメリカの文学賞で、これに選ばれた作品に外れなし(ぼく及び豊崎由美さん談)と言われています。
ぼくの好きなクリストファー・プリーストの『奇術師』も受賞していますし、ちょっとウィキペエディアで見つけられませんでしたが、ジョナサン・キャロルの短編も受賞したことがあります。
とにかくファンタジーの世界的な賢威ある賞なのです。
一方で、キングがなぜファンタジー作家だと思うのかというと、キングが長編と短編で一回ずつこの賞を受賞している、という事実もありますが、もうひとつ、キングが小説について以下のような発言をしたことがあるからです。
「すべての小説は広い意味でファンタジーだ。その有り様に応じて、ホラーになったり、ミステリーになったり、歴史物語になったり、SFになったりするが、それらはある意味でファンタジーの変容したものだと言える」
確かに言われてみれば、作者の空想を書く、という意味では私小説ですらファンタジーと言えなくもない。
で、ファンタジー→ダークファンタジー→ホラーと展開してゆき、ホラーで人が死んだ理由が現状の科学の範囲で説明されればそれはミステリーとなり、未来の科学を含めればSFになり、前提となる科学が歴史学になれば、歴史小説になるというわけです。
キング自身がそうはっきりと言っている事実を考えれば、それだけでキングがファンタジー作家であると認められるかもしれませんが、さらにキングは『ダークタワー』第一巻のまえがきで、『指輪物語』に惚れこんで、自分でもその類の小説を書きたくなってこれを書いた、と言っています。
そのわりに『ダークタワー』は『指輪物語』とちっとも似ていませんが、それはさておき、キングがファンタジーをかなり意識していることが分かります。
さて、キングと村上春樹がファンタジー作家である、という主張に納得いってもらえましたか?
もらえなくてもいいや。強引に先に進みます。
キングと村上春樹の、もう一つの共通点は、これを言うとかなりいろいろな人から叱られそうだな、という内容です。
ええい、もう言っちゃえ!
キングと村上春樹の第二の共通点。それは、だらだら書く、です。
文章がじつにだらだらと長く続く。
キングの小説の本質は、キングが初めて書き上げた長編といわれている『死のロングウォーク』に顕れている(と思います)
『死のロングウォーク』は、高見広春の『バトルロワイヤル』や恩田陸の『夜のピクニック』に影響を与えたといわれる小説で、アメリカの高校生が何百キロもただ歩き続ける、という競技の経過を描いた作品です。
はじめにこの小説のアイデアを聞いたときに、ぼくは戦慄しました。
だって、『バトルロワイヤル』はまだしも、いろいろとやることがあるじゃないですか。あの設定から考えれば、あんなことやこんなことやいろいろと起こってわくわくします。
『夜のピクニック』だってそうです。高校生が一晩歩き通しなんですよ。恋あり笑いあり青春ありに決まってるじゃないですか。
でも『死のロングウォーク』は本当にただ歩くだけの小説です。
ふつうこのアイデアで小説書こうとか思いませんよ。
それを学生時代にやった。
執筆はたぶん、主人公たちの死闘と同様に、死のロングライティングだったと思います。
たんに歩くだけ。
まあ、雷とか鳴りますわな。作中でも暴風雨の中を歩くシーンがありました。
歩いているうちにライバルとの足の引っ張りあいがありますわな。
それから途中で家族や恋人が応援に来ていて、華やかなシーンも考えられますわな。
体力の限界に達して、脱落する奴も現れますわな。
・・・で、どうしましょう。
これだけで本一冊分、書けますか?
ぼくは書けません。
それをキングはとにかくだらだらだらだらいろいろと書くんです。
思い出話や本編と特に関係あるようなないような話とかどんどん書き連ねます。
それでなんとか全編を持たせる。
デビュー作の『キャリー』はキングの作品郡では特異で、文庫本でもあれだけ薄いですよね。だらだら書いてないからです。他のは全部厚い。
『ダークタワー』なんか圧巻ですよ。
キングはあきらかに不思議の世界を描くのに向いてない!
ニューヨークの銃撃戦のシーンや、麻薬中毒者の描写なんかは、さすがに迫力がありますが、だいたい『指輪物語』にあこがれて書いたっていうファンタジーに、なぜニューヨークが登場するのか?
自分の苦手な分野は、得意な分野に引き寄せて描き、その他の部分はだらだらと想像力の続く限り書き連ねてゆく。
このテイスト、村上春樹に似ていませんか?
ご賛同いただけなくてもいいんです。妄想ですから、ぼくの。
『ねじまき鳥クロニクル』のあの感じや、『1Q84』のその感じは、なんだかキングの方法論を自分なりに消化して書いているような気がしてならないんですよ(またハルキストに怒られる~)
で、なんか読みようによっては、キングと村上春樹両方をディスっているような感じになってきちゃいましたが、そうではありません。
この二人の小説を読むと、魔訶ふしぎ。どんどんすらすらと小説が書けるようになるのです。本当にふしぎ。
だからぼくは自分の小説を書くときには、二人のうちのいずれかの作家の作品を読むことに決めています。(ただし村上春樹は日本人で日本語で書かれているので、文体が似ると困るので、キングを読むことが多い)
たぶん、資料をきちんと調べて書く作家の作品は、読むと疲れてきて自分の小説を書く気が起きませんが、キングと村上春樹の場合は、ふたりとも想像力の作家なので、勇気づけられる、というところがあると思っています。
ただ、キングも村上春樹も、文体や描写で読ませる力があるので、単純に真似して書くと大失敗するので、そこは注意しています。
あくまでも、おまじないのレベルでふたりの作家をリスペクトしています。
とりとめもない妄想でした。
しつれいしましたあ><


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