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奈良時代、各地の古代(縄文系?)王国が消滅したのは、日本が一つの国になるため① ~縄文の終焉は新しい時代の幕開け~

縄文を調べていくと、ある時代をきっかけに、日本各地の古代(縄文系)王国が姿を消していったのがわかります。
それは奈良時代・・。奈良時代に行われた「大化の改新」以降、日本各地にあった縄文王国が次々と姿を消していきます。
「大化の改新」とは、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足らよって行われた、大きな政治改革。彼らは、唐(中国)のような強大な国づくりを目指し、「律令制度」を日本に導入する改革を推し進めていきます。
それはまず、大王家をしのぐほど、栄華を誇っていた蘇我氏を滅ぼすことから始まりました。

「律令」とは国家づくりの根底となるルールのこと。
現代の民法や法律などが当たると思います。
中大兄皇子と中臣鎌足らは、日本全土に適用する法律(=律令)をつくり、その法律を日本全国にいきわたらせることを始めます。そしてそのためには、日本全国を「朝廷」という一つの国家に統一することが必須でした。
当時の日本は、まだ縄文系の王国もあれば、渡来系の人たちが治める国があり、ヤマト王権によって統一されていない状態でした。
ヤマト王権は大きな権力はあったけれど、いまだ政治力は全国にいきわたらず、律令制度の導入のためには、日本全土を統一することが急務だったのです。

当時、日本に存在したさまざまな古代王国・・。
例えば、中国地方には「岡山県、兵庫県、広島県、香川県」など広範囲に勢力を誇った吉備王国がありました。また長野県の「鬼無里(きなさ)」にも古い縄文系王国があり、ほかに、山梨県の「身延(みのべ)」あたりにも、古い縄文系王国があったようです。
実際、数えあげればキリがないくらい、各地に王国が実在していました。
それらの王国の中には、ヤマト王権に対して中立を保つ国もあれば、あえて中央に従わず、独立を保つ国もありました。
そして中大兄皇子と中臣鎌足らは「日本という国の統一」のため、朝廷の意にそわない国々を滅ぼしていくこととなります。

ただ当時、それらの古代からの王国はとても多く、中大兄皇子が生きている間にすべてを滅ぼすことはできなかったようです。そのため、日本統一のために各地の王国を滅ぼしていく試みは、天智天皇(中大兄皇子)没後は、弟の天武天皇に受け継がれ・・。天武天皇没後は、妻で女帝の持統天皇へと受け継がれていきます。

ちなみに持統天皇が在位中に、巨大だった吉備王国は分割され、ヤマト王権に組み込まれていきます。その際、持統天皇が政治のリーダーシップを取り、女帝として君臨したという説もありますが、実際、唐の律令制度は男性優位の社会システムで、持統天皇はあまり権力はもっていなかったようです。その後、持統天皇以後も、何人もの女性が帝位につくこともありましたが、朝廷の権力は女帝(女性)が持つことはなく、周囲の男性たちが握っていたそうです。

唐の「律令制度」は男性中心の社会制度。たとえ女性が帝位についても、これまでのように女性がトップに立ち、国を治めることはなかった様子・・。
「大化の改新」とは、日本全国を一つの国にしようという試み。そのために必要だったのは強い軍事力とリーダーシップ。
それは、女性でなく男性が得意とする分野でもありました。
つまり「大化の改新」以後は男性中心の国づくりが行われ、女性はじょじょに力を失っていく時代に突入した、ということです。
そしてそれは同時に、日本各地にあった縄文系王国の滅亡でもありました。


男性が中心の国づくりをしていた、唐の「律令制度」を取り入れた時、日本は強い力を欲する国へと変貌を遂げました。
それは避けられない時代の変化であり、それにより、日本統一は「力」により成されていくこととなります。そして、日本各地にあった古い縄文系王国は、ヤマト王権にひれ伏し、滅びていくこととなります。

それでは、日本各地にどんな縄文系王国があり、どんな風に滅びていったのか? 激動の奈良時代とは?次回に続きますね。


本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン