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コンサルタントインタビュー(根本 晴三 編)

こんにちは。縄文アソシエイツnote担当です。今回は久しぶりにコンサルタントインタビューをお送りします。コンサルタントの根本晴三をご紹介します!

根本 晴三 ( Seizo Nemoto )
慶應義塾大学法学部卒業。川崎製鉄(現JFEスチール)入社、製鉄プラントにて生産管理を経験した後、自動車業界向け営業を15年間担当。アルミニウムメーカーUACJでは営業マネージャーを務めながら、製造・研究開発部門含めた部署横断組織の構築・運営に携わる。理念ある企業と経営人財との架け橋となるべく、縄文アソシエイツに参画。


―縄文アソシエイツを知ったときのことを教えてください。

日系エグゼクティブサーチの草分け的な存在として縄文アソシエイツのことは知っておりました。青臭いことを言うかもしれませんが、ホームページで初めて「価値ある出会いを無数に創り、すべての人が働くことの素晴らしさを実感できる社会の実現に貢献します」という企業理念を拝見した時に、素晴らしい理念だなと感じたことを今でも覚えています。

私は小学校から高校に至るまでチームスポーツを長くやっていたこともあり、仲間と切磋琢磨しながら何かを成し遂げた時に大きな喜びを感じます。そういった経験からなのかは分かりませんが、「人」や「組織作り」に関する仕事をしたいと思い、新卒で入った会社では人事部への配属を希望しました。
結果的には主に営業領域にてキャリアを歩みましが、社内外多くの方々とお会いする機会に恵まれ、いつの時代も企業が抱える共通課題は「人」だということを強く感じました。企業が抱える課題解決を自分の生業としたいと思ったことが縄文アソシエイツで働きたいと思ったきっかけです。
 
企業には理念が大切です。ただ、もっと大切なことはその企業理念に社員一人一人が共感をし、習慣として自然と行動に現れることだと思っています。縄文アソシエイツのメンバーと接した時に、この会社は本物だと直感的に感じ、自分もこの会社で仕事をしたいと思い、参画しました。
今振り返ると、営業出身の私が人に携わることを生業とできる唯一の仕事がヘッドハンターだったのかもしれません。

―現在はどんな仕事をしていますか?

また印象深い案件やエピソードなどありましたら教えてください。

大まかな仕事の流れとしては、クライアント企業と経営課題を共有しながら、更なる発展、成長に必要な人物像を議論します。その上で縄文アソシエイツでサーチ、候補者の方にコンタクトをした上でそれに資する方をクライアント企業にご紹介、お引き合わせをし、ご縁を紡ぐ仕事をしております。自分自身は製造業の出身ですが、担当する業界・職種に偏りはなく、金融やITなど幅広く担当をさせて頂いております。

当社の行動指針の1つに
「お手伝いした方々とは一生のおつきあいができていますか
-目標とやりがい、そして出処進退を見守り続けていますか」

というものがあります。

人の出処進退に立ち会えることがこの仕事の醍醐味の一つです。言い換えるとその人の本性が垣間見える瞬間でもありますので、候補者の方が出処進退を決める時は本当に色々なことが起こります。
クライアント企業からのオファーを受けるか悩まれていた候補者から突然ご連絡を頂き、詳細用件を事前にお知らせ頂けないまま「翌日会いたい」と言われました。「多分ご辞退されるのかな」と思いながら某都内ホテルのラウンジに向かいましたが、その候補者は覚悟を決めたすっきりとした表情に変わっていました。「お受けすることに決めました」と告げられた光景を今でも鮮明に覚えています。
やっぱり対面で表情を見ながら会話することがヘッドハンティングの基本だと思っています。ちなみに、今でも勝負時は同じテーブルを使うようにしていますが、場所は秘密です。

―プライベートについて聞かせてください

野球が好きなんですよね?

観戦時は銀傘の下で1試合目から4試合目まで観戦します

私は三人兄弟の末っ子ですが、兄の影響で小学校から高校まで野球をしておりました。
中学2年の時、背番号は「14」でしたが、埼玉県代表として関東大会に出場しました。その後、高校は地元の公立高校に進学したのですが、野球の強豪校ではなかったこともあり、何となく気乗りせず野球部には入りませんでした。
しかし高校1年の夏、中学時代に一緒に戦った先輩・同級生の応援のため球場に足を運んだ時に、皆が本気で甲子園を目指しているのも関わらず、自分が当事者として同じグランドにすら立っていないことが恥ずかしくなり、途中から野球部に入りました。
結果、甲子園には遠く及ばず埼玉県ベスト16が最高戦績でしたが、素晴らしい仲間とも出会うことができ、自ら行動を起こして良かったと今でも思っています。結果はどうであれ、自ら行動しないと何も始まらないことをこの時に学びました。高校野球観戦は今でも趣味の1つで、毎年夏の甲子園には観戦に行っています。

甲子園バックネット裏にて

30代中盤から体力作りの一環でジョギングを始めました。タイムは遅いですがフルマラソンもこれまで15回完走し、先日行われた東京マラソン2024でも5年ぶりのフルマラソンでしたが、なんとか制限時間内にゴールすることができました。

なんとかゴール!

2023年には、縄文アソシエイツでも有志でランニングクラブを立ち上げ、ご家族の方なども合わせて国立競技場で行われたリレーマラソン大会に参加しました。今まで参加したどの大会よりも楽しいイベントになりました。

―この記事を読んでくださっている方にメッセージをお願いします。

 これからも当社の理念である「価値ある出会いを無数に創り、すべての人が働くことのすばらしさを実感できる社会の実現に貢献します」を体現し、理念ある企業と経営人財との架け橋となるべく取り組んで参りますので宜しくお願い致します。 

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