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1. 漆の糸(垣ノ島B遺跡)

その電話があったのは、1999年の8月9日の午後のこと。
受話器から、発掘調査員の坪井睦美が「墓から漆製品が出ました」と伝える声が聞こえた。私は「何かの間違いだろう。縄文早期に漆があるわけないじゃないか!」と応えた。その時、私の声は少々いらだっていたに違いない。縄文時代の漆製品が出現するのは早くて前期前半で、早期の漆製品の存在なんて考えられなかったからだ。坪井調査員はやや困惑した声で「でも、漆なんです。見に来て下さい」と言った。

垣ノ島川右岸にある発掘現場に到着すると、通常よりも一回り大きな土坑墓があり、熟練の作業員が中に入って発掘していた。近づいて見ると、確かに漆のようだ。遺体は腐食して残っていないが、頭、肩、腕、脚にあたる部分に赤色の漆状のものがあり、周辺には漆膜とみられる破片も散っている。今度は私が困惑する番だった。この墓の上に6,800年前に降下した駒ヶ岳起源の火山灰(Ko-g)が堆積していたことは図面で確認している。間違いなく古い。私はすぐに、漆の専門家である北海道開拓記念館の小林幸雄氏と保存処理の専門家である北海道埋蔵文化財センターの田口尚氏に連絡し、現地での指導を依頼した。

翌日、さっそくお二人が駆けつけてくれた。
現地で協議した結果、出土品は漆製品と判断して良いこと、保存処理のために墓ごと切り取って事務所に運び込むこと等が決まった。
ここから緊張の連続が始まる。私は水で濡らした和紙を漆製品の凹凸に合わせて撚り、表面が平坦になるように被せていった。これは発泡ウレタンを注入した時に均一的に押さえるためで、ここで手を抜くとウレタンと漆製品との間に隙間ができ、振動があると資料が簡単に壊れることになる。一番重要な作業だ。その作業と並行して重機が墓の周辺をどんどん掘削する。

和紙による養生が終わると薄いビニールをかけ、さらに少量の砂を撒いて押さえる。それから、スコップによる手作業で土坑墓の周りを10cmほど残して削り、さらに墓の底も地面から切り離しやすいように抉って全体を板枠で囲う。そして墓を保護するための発泡ウレタンを注入。
最大の難関は、切り取った土坑墓をクレーンで吊り上げながらゆっくりと反転させ、その底に板を打ち付け補強することだ。朝から始めた作業だが、気が付いたら夜の10時を過ぎていた。投光器で照らしながらの危うい作業だ。

いよいよクレーンによる墓の吊り上げ作業。
土坑周辺を最小限に削り取ったとはいえ、その重量は2t近くになる。私はクレーンと木枠で梱包された墓の間に立ち、オペレーターに指示を出しながら慎重に吊り上げていった。90度ほど回転させることに成功、後はゆっくりと180度反転させるだけだ。ここまでくればもう安心、そう思った瞬間、吊り上げていたロープが僅かに緩むのが見えた。「上げろ、上げろ!」私は大声で叫んだが、次の瞬間、ダーン!という大きな音ともに、木枠に囲まれた墓が地面に叩き付けられるのが見えた。何が起こったのだろう。作業をしていた我々はお互いの顔を見合わせたが、誰も口を開くものはなかった。静寂の時間のなか、投光器に照らされた土埃がチンダル現象によって美しく浮かび上がっている。誰もがこれまでの作業が水の泡になったと覚悟した。
私は墓の底の上に乗り、板を打ち付けるために余分な土を削り取る作業を黙々と始めた。ようやく皆我に返ったかのように動き始め、底板を打ち付けた後、再度クレーンで吊り上げて墓を正常位に戻して作業を終了した。

翌朝。
トラックに積み込んで発掘調査事務所に搬入。木枠のサイズが事務所の入り口より大きく、新築した木造建物の壁に穴を開けるというオマケもついたが何とか搬入に成功、一同見守るなか梱包を開けた。すると、あれだけの衝撃が加わったにもかかわらず漆製品は全く破損していなかった。歓喜の声があがった。
ここから難しいクリーニング作業が始まる。漆製品は、漆を塗った直径2mmほどの糸で作ったもので、糸自体は腐食して残っておらずストローのように内部が空洞になっている。そのため、少しでも漆糸に力が加わると簡単に崩れるのだ。クリーニングを担当した坪井調査員は、人形の顔を描くための細い筆に水を付け、覆い被さった土を少しずつ溶かしながら作業を進めた。この作業は墓穴の上に板を渡し、その上に腹ばいになりながら行うという過酷なものだった。

3ヶ月後、姿を現したのは漆糸を編んで布状にしたもので、上腕部にあたる部分では14×12cmの範囲にヨコ糸が密接して連続し、下部ではヨコ糸がほつれた様子も観察された。肩当てのような装飾品と考えられる。頭部の漆糸は髪の毛を束ねるためのものだろう。
その後の観察と科学分析で、漆糸は植物繊維を撚った軸糸に幅2mmほどの細い紐状の素材をコイル状に巻き付け、その上にベンガラを顔料とした赤漆を3回塗布するという非常に特殊な技法を用いていることが分かった。また、放射性炭素(AMS)による年代測定ではCal BC 7,170-7,050年が示されており、現段階では世界最古の漆製品となっている。

縄文時代の漆製品のなかで、木胎・陶胎漆器、藍胎漆器は、縄文時代以降もその技術が引き継がれ現代の漆工技術の礎となっている。一方、赤い漆糸の製作技術は早期から晩期までほぼ全時期を通して存続するが、縄文時代の中で完結してその技術が継承されることはなかった。
その意味において、漆糸は縄文人の「漆製品」に対する思考が凝縮されていると言える。また、漆糸製品は東日本の日本海沿岸部を中心に十数カ所の遺跡から出土しているが、中国大陸の新石器文化には見ることがなく、日本が起源であると考えられる。垣ノ島B遺跡の漆糸製品は、漆の起源ととともに糸の製作技法を知るうえでも貴重な資料となっている。

漆糸のクリーニング作業
姿を現した漆糸製品(埋葬された人体の姿勢も分かる)

2.足形付土版(垣ノ島遺跡)
https://note.com/jomon_jazz2501/n/n470ab50313e6

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