なぜ人々は死に急ぐのか

私が上京して渋谷に住んでいた頃の話である。
この日は休日で朝から特に目的もなく電車に乗ってどこかで
時間を潰そうと渋谷駅に向かったていた。
5分ほどで駅に着きだらだらと駅のホームへ駆け上がったのだが
この日少し様子がおかしかった。
駅のホームは異様な雰囲気に包まれており
何か異常が起きたんだなとすぐ察知した私。
駅の路線にはそこにある何かを必死に隠すようにブルーシートが
広々と敷かれているのである。
その何かがなんなのかは想像に難くないと思うのでここでは控えるが。
上京して初めての光景に驚きを隠せなかった。
私が今日この場所にたどり着く間に1つの命がこの世から消えたのだろうか。
その命はこの腐ったゴミのような世の中に疲れて死を選んだのか?
元々この命は今日この場所で終える運命の命であったか?
私がそんなことを考えているうちにも世の中はどんどん変化していくし
その命が消えても何も思わないだろう。
だって人間社会で1つ命が消えたところで
我々がアリを踏んで歩くこととなんら変わりのないことなのだから。

上京して日々電車を利用していると人身事故も日常の一部であった。
なぜその人々は死に急いだのだろうか??
この人生というレールのなかでなぜ自ら脱線を選んだのだろうか?
その人々がその選択をした過程は当然私にはわからない。
私も立派な人間ではないし偉くもない。
ここで生きてさえいればなんとかなるなど無責任なことは書かないが
私はいつもこう思っている
   生きろ!なにがあっても生きたほうがいい!
これも無責任な事だとは重々承知の上ではあるけど生きろ。
生まれた瞬間からみんな死という終着駅に向かっているはずなのだ。
なら自分の手でその死を早めることはなんて浅はかな考えだろうと思う。
私は本当にこれだけは人身事故に遭遇するたびに思っていた。
そのくらい上京した時は人の死が身近に感じられた。

そんな風に東京では自殺について考えるきっかけができた。
私は当然「自殺」という選択をすることはないが
もし自殺願望がある人は一度振り返って見てほしい
死ぬ理由が「仕事」や「人間関係」または「いじめられているから」
になっていないか。
世の中は広いし死を選ぶくらいなら今の環境から抜け出そう
仕事が嫌なら明日やめるでもいい
いじめられているのなら明日から学校なんて行かなくていい
人間関係なんて環境を変えればいくらでもやり直せる。
逃げ場はいくらでもある。
嫌なことから逃げてはいけないという風潮が世の中に蔓延っているが
そんな常識はどこにもないのである。
なら死ぬくらいなら逃げてしまおう。







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