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【短編小説】北極星をつかみ損ねた男の話

  ある時、男の頭上にどすんと北極星が降ってきました。男はいきなり、大きな星が落ちてきたものだから、尻餅をつき、挙句の果てには目まいがしてしばらく起き上がれませんでした。
 一方、北極星はというと男の側に落ちていました。しかしこの星は意地悪です。その場で昏倒しているこの男に手を差し伸べることはせず、彼がどこへ向かって、何をするのかをしばらく呑気に見物しようと思いました。
「いてて、てて。ここはどこかな。俺は何をしていたのかな。どこへ向けて歩いていたのだろう?」
 男は方角を完全に見失いました。それも無理はありません。というのも、天空には方角のすべてを司る星。北極星がすでに失われていたからです。
それからしばらくの間、男は迷いました。苦しみました。もはや自分が何者かすらもわからなくなりました。再び平静を取り戻すには北極星をしかと、また、目に収めてこの銀河系での我が身の座標を測らなければなりません。
 しかし北極星は見当たりません。男は懸命に探してみましたが、あの時から失われたようです。混乱と困窮の果てに男は走りだしました。あらぬ方角に向けて駆け出しました。どこが北か南かも全く分からず、とにかく当初からの目的地。アンドロメダ星雲に向けて、長い道のりを歩み始めたのです。
 
 歩くこと数光年。男は孤独でした。しかししばらくすると男の前に見目麗しい星がぼんやり現れてきました。土星です。彼女は素敵な氷の輪を持ち、男を瞬く間に誘いました。美しい黄褐色の帽子を被った彼女は、終わりなき旅をする男にとって、美の象徴。あるいはまたとないオアシスのように感じました。
 男は土星に吸い寄せられました。当初一目散に太陽系を通り過ぎるつもりでしたが、彼女の魅力に抗うことはできませんでした。男は何よりも北極星を探しているのでした。そのはずでした。
 しかし実際にこの美しい土星を初めて目のあたりにしてみて、彼女を手に入れることで旅を終えてもいい。彼女こそが旅の終着点だという思いがめぐってきました。男はいよいよ土星の引力圏に入ります。北極星のことは忘れて土星にどんどん近づいていきます。ところがあともう少しで、土星に漂着するというところで、彼女は男を厳しく拒絶しようとします。これ以上というところでもはや近づけないのです。そして、男の方でも彼女のありのままの姿態をみて、ぞぞぞっとしました。
 遠目から見ると美しい土星の輪は、近づいてみるとその正体は果たして、男のような旅人たちの死骸の集積体であったのです。
 彼らは丁重に葬られたり、土星の成分のひとつとなることも許されずに、死後、彼女の軌道に合わせてクルクルと廻っていつまでも美の生贄となっていました。遠目では気づかなかったことです。

 ひゅうるるる。ひゅうるるる。どしっ。どさっ。どすっ。

「いたたっ、何をする。どうして僕を傷つける」
 気がつけば、男は土星の輪を構成している旅人たちの残骸にぶち当たり、その身に深い傷を負いました。
「退散! たいさぁん!」
 男は一目散に逃げました。ここで北極星はというと、ただ彼女は笑っていました。
土星での惨劇。それからもう幾光年が過ぎたでしょうか。男は相変わらず、天の方角をとうに失ったまま、誰と話すというわけもなくただ漫然と太陽系を歩いています。すると、今度は熱い炎のフレアをまとった恒星に出会いました。太陽です。

ー元始、女性は太陽であったー平塚らいてう

 出逢うなり、一目、男はこの女性こそが失われた北極星に違いないと思い込みました。そうです。男は一般的な常識である理科の勉強をまったくしてこなかったのです。
 どこまでいっても、この宇宙はしん、と静まりかえっています、そのなかでひときわ目立つ真っ赤に燃える存在こそ、男が見失ったもの。北極星に違いない。そう思ったのです。
しかしながらそうはいっても男はさきの土星での経験もあり、なまずに懲りてあつものを吹くとの諺通り、おっかなびっくりして太陽に近づいていきました。
 太陽はよく目を凝らすと、黒い点がところどころに見えます。観ようによっては成人していない娘のニキビのようにも思われます。男はその黒点をとても愛おしく思って、次第に警戒心も薄れどんどんとこの星に接近していきました。
「何?」
男がある一定の距離まで近づくと、太陽はいきなり見も知らぬ男が不意に現れたので驚きました。彼女は面倒くさそうに尋ねました。
「接近許可証。あるいは、到着パスポートを見せて」
男は答えます。
「すみません。地球に置き忘れてきました」
「ならば立ち去るがいい」
「どうしてですか?」
「どうしてもこうしてもないわ!」
 
 太陽は怒り、男が彼女のそのコロナにまで近づかんとした為、やむなく太陽風で男を吹き飛ばそうとしました。そして、それでも男は微動だにその場から離れようとはしないので、苛立った彼女は太陽フレアからなる灼熱で男を焼き払おうとしました。
「ああっちいちいっ」
男は叫び、その場から逃げました。そして、これ以上は近づけないという地点においてこの星の姿を仰ぎ見ると、その表面にはついこの前と思われる焼き死んだ男たちの残骸が黒点となって滅んでいました。麗しい少女のニキビだと思われたものが、実は男と同じ男の生命体だったのです。
 男は土星での経験もあり、やはりぞぞぞっと身にさぶ気がして、彼女への思いが一気に醒めました。ただ、彼はこの星が何なのかだけは確かめたいと彼なりに思います。
「君はなんなんだ。なんという星なんだ?」
太陽は言います。
「私は太陽よ。あなた馬鹿なの? ひょっとして私のことを知らないの?」
 男は小さい声で呟きます。
「知らなくてごめんなさい。今、気づきました」
 このようなやりとりのなか、男はまたしても、今回、見かけの美しさに騙されて、しなくてもいい道草をしてしまっていたのでした。
 男はもう二度と火遊びをしないと誓いました。北極星は男のそのうちひしがれた様子を観てくすくすと笑いました。

 タイム。ゴウズバイ。さて幾光年が過ぎたでしょうか。気がつけば男は太陽系を脱しとても遠い所へ来ていました。牛飼い座。へび座。へび遣い座。地球ではあまり見上げたことのない星座も眼に収めてきました。数えると目がまわるくらい遠い距離を歩いてきました。
 ふと振り返れば一生を歩くことだけに捧げてきました。彼に伴侶はいません。もちろん、彼の意思をつぐ子も子孫もいません。それでも北極星は見つかりません。寄り道をしたのがいけなかったのでしょうか? 相変わらずどこの方角かはわかりませんが、ただ、今日も一日歩いています。やめようにももう、からだが止まらないのです。
 若き日の星雲の志。当初本来の目的であったアンドロメダ大星雲はもう夢のかなたです。青年時に始めた旅がよもや、この歳になっても続くなんて。なんて残酷なんでしょう!
 男はこの旅が恐ろしく不毛なことに早く気づくべきでした。彼はすっかり途方に暮れてしまいました。
 そして北極星です。
 さまよえる地球人。彼女は今になって初めて、この男のことを可哀想だと思いました。
この男も旅にでなかったのであれば、生まれた星で一生を安寧に終わっていたはずに違いない。そう思うと、年老いた彼が不憫に思えてきて手をさしのべて、我が身を見せてあげようかとも思いました。
 男はいつしかもう、老年とでもいえる歳に差し掛かっていました。頭は禿げ上がり、腰は折り曲り耳は遠くなり、若い頃から歩きどうしの人生でしたので、もうかつてのように、やみくもに方角がわからないのに、旅を続けて目的地を探すだけの根気も体力もありません。どうやら、お迎えも近いようです。ある時を境に衰弱する一方になりました。
 大望は抱くまい。最後に己が正しかったのか。己はどこへ向かおうとしていたのか。それだけでも知ってから死にたい。男はそう述懐しました。おのが人生を振り返っているうちに、男はかつて歩みし、過去の道のりを一々、振り返っていきます。男の人生がサバンナのチーターが駆けるように一瞬のうちに過ぎ去っていきます。

「あっ」
 とそのうち男は叫びました。その瞬間、彼はいつ北極星が自分の視界から消えたのか。そして、その星がいつもどこにいたかを悟ったのです。
 北極星は実は彼の真後ろにいました。血眼になって脇目もふらずに、探検を繰り返すこの男に気づくことはなかったのですが、終始、彼から離れぬところにいたのです。彼は北極星を見つけるまで一度も振り向かなかったものですから、まさか、彼の後ろにぴたりつけていたとはわからなかったのです。ただ前のみしか観ていなかったことが彼の人生の失敗でした
「慌てないで。困ったらすぐに駆けださないで、じっくり周囲を観察するのよ」
 男は小さい頃から、彼の母にそう言われて育ってきたのですが、そうはいっても生まれついてから、そわそわし通しの性分だった彼は、一度も母の言いつけを守ったためしがありませんでした。
 自らの年齢から鑑みて、地球上にいるはずの母はとうにもう、亡くなってしまったに違いありません。しかし、母の言葉は有難いものです。誰よりも彼のことをよく知っていたひとの残した言葉です。
 男は今こそ、母の言いつけを思い出し、いち、にの、さぁんと勇気を振り絞って、我が身の後ろをはっきり振り返ることにしました。やはりというか、果たして不幸にも北極星の姿が彼の背後に認められました。ついにその姿を目に収めました。信じられないくらいに単純でしたが、事実、そうでした。
「僕の北極星!」
 男は叫びました。
「みつかっちった」
と一言、彼女はそのことだけを言い、別に悪びれもせずに、「ニイイッ」と笑いました。
「なんで後ろにずっといるんだよォ」
 男は悲痛のあまり、そう叫ぶと北極星である彼女をこの身に抱こうとしました。すると北極星は彼女とて長年身についた哀しき性なのか、一瞬、反射的に彼から逃げようとしました。 次の瞬間、男は彼女を追いかけようととっさに身をよじりました。男はその場に昏倒しました。大の字になってぶっ倒れました。悪いところを捻ったようです。それからは息も絶え絶えとなりました。

 まことに残念なことなのですが、男はもはや、死に瀕していました。しかし男はもう満足していました。なぜなら今では男ははっきりと北極星の姿を側にみとめることができるからです。若いころの目的地であったアンドロメダ星雲には結局、たどりつけじまいでしたが、人生なんてそんなものなのかもしれません。そして、今では北極星が彼の傍らにいます。最期は彼女が彼を看取りました。
 さて、この話は男が亡くなってからも実は続きます。星の命は一生命体の命よりもはるかに長いのです。男は満足のうちに死んでいきました。しかし宇宙で彼らのことをずっと見守り続けていた他の星々は、男にとても同情的でした。そして北極星はというと、星々の裁判にかけられて厳しい罰を受けることになりました。
 男が死んでからというもの、北極星はその時からその場を一歩も動いてはならぬように定められました。その為か、この広い宇宙を駆ける旅人たちは、彼女を目安に随分と安全に旅することができるようになったそうです。

                                                                               (了)(原稿用紙14枚)

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