見出し画像

ちょっと待ってではなく わたしが待つわ


子どもが大きくなって
心にゆとりもできたのか
最近特に
一旦、立ち止まって
自分のおかあさん活動を
振り返ることが増えてきた。

ちゃんとおかあさんできただろうか
いいおかあさんだっただろうか
これでよかったんだろうか

もっとすべきことがあったのでは?
まだ何か出来ることってなんだろう

教えるべきことが
まだまだあるのに
あっという間に大きくなってしまって
寂しいなっていう
センチメンタルな気持ちもあるのか

おかあさん反省会なるものが
心の中で繰り広げられる。


あの時は
少し待って様子みて
できるまで 待ってあげたらよかった
とか
よくある出来事を普通に勝手に
反省したり。

反省会の多くは
そのうち時間が経てば
できるようになるはずなのに
今 できていて欲しいという
欲があった時の事が多い気がする。

まぁ これも今だから
振り返る事ができる事なんだろうけど。


反省なくして成長はない
新たな一歩のために必要な
作業なのかもしれない。

息子が幼稚園の年少さんの頃に
保護者会で園長先生が
「お母様方もお忙しいと思いますが
ちょっと待って ではなく
なあに と手を止めて
お子様のお話を
聞いてあげて欲しいのです。」

っておっしゃっていたのが
今でも忘れられなくて

それを聞いて以降は
ママママ!と
矢継ぎ早に呼ばれ続けても
幼い息子に
「ちょっと待って」を飲み込んで

「なあに」に変えて
どうしても手が離せない時は

「待って」の前にきちんと理由を伝えて
待ってもらう を意識した

子どもっておかあさんに
「待って」って言われると
ずっと待つ 
この子はずっと待ってるのに

子どもの成長を見守りたい
できるようになるまで
待ちたい

って思ってるのに
おかあさんが待ててなかったんだよね。

待って って自分が言うくせに
どうして待ってくれないの?

って思われて当然なのに
いつも急いでて
申し訳なかった。
って反省…

おかあさんをやっていくうちに
待つことにようやく慣れてきて

今やっと 心から「待つよ」
と言える

おかあさんとして
必要なスキルをようやく手に入れ
できるようになった時には
もう大きくて。

実際、まだスキルの一部くらいしか
手に入れてないようにも思うけど。

おかあさんとしての能力は
今はまだヒトカゲくらいよね。
まだまだ進化が必要…
せめてリザードくらいになりたい。

先日観た映画がすごく怖くて

評価が高くてチラッと見てすぐ

怖くて止めて なにこれ
怖すぎるんだけど。
って…思ったんだけど

これ以上みるべきかどうか
判断に困り、コメントみたら
すごく衝撃的なんだけど最後まで見てほしい
って書いてる人がいたので

何度も止めながら観ていくと
乱暴だし何か間違ってると思うけれど

そこには間違いなく愛があって
だからこそ

母親って怖いな と思った。

おかあさんって存在が怖いなって
そう思った作品

おかあさんが
子どもの未来を大きく揺さぶる…
どうしたらいいのかわからない不安
誰しも何かしらの不安を抱えて
子どもを育てているから

涙なくして見れないものだったけど
どこかで起きている現実で

こういう世界がなくなりますように
って切に願うしかない。

最初から最後まで
子どもは素直に愛に溢れていて
じーんとさせられる。

おかあさんも欲を捨てて
ただただ、愛だけ捧げられたら
待ってくれていた子どもに報える気がする。

ちょっと待って、ではなく
私が待つわ
いつまでも。

いつかあなたが独り立ちできるその日まで。

これしかできないからね。

いつもと変わらない日々をおしゃべりしています。

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,330件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?