見出し画像

小学校のバス通学

私は、小学校は付属小学校に進みました。
付属小学校は、国立ですが、もちろん入学試験があります。
幼稚園は、近くの幼稚園に、一年だけ通いました。
斜め裏の男の子も一緒に受験をしました。

私としてはあまり記憶に残っていないのですが、子供達が、教室に集められ、お姉さんお兄さん達が、退屈させないように、紙芝居をしてくれていた事、隣の教室に呼ばれて行くと先生達が何人か椅子に座っていて、カゴに入っているみかんを配ってください。というのがあった様な記憶があります。
後から母に、体育館で縄跳びがあり、1.2回で飛べなかった事、天井から下がっているロープにぶら下がるのは、誰よりも長くぶらさがれた事を聞きました。
と言っても、半世紀以上昔の話です。
今とは、お受験の感覚も、中身もずいぶん違っていたのだろうと思います。何が良かったのか、無事、斜め裏の子と、合格して、通学する事ができましたが、学校は、家からは6km程離れていました。
朝は父の通勤のついでで、学校迄送ってもらっていたのですが、帰りはバスで、帰らなければいけませんでした。(斜め裏の子も同じでした)
斜め裏の子と帰る時は良いのですが、一人の時は勇気がいりました。

その当時のバスは、「ワンマン」にもうなっていました。
その前は運転手さんとは別に、車掌さんが乗っており、乗ってきた人、一人一人に、どこまで乗るのか聞いてはお金と、切符を交換して、バスに乗っている間に、決算するのです。

車掌さん、こんな感じ


今のように、個人情報なんて気にしていなかった時代、ランドセルの横に紐で定期をぶら下げていました。
降りる時は運転手さんにそのまま見せて降りていました。

バスでの通学で、何回も失敗した事がありました。
特に一年生の頃はまだ、慣れていなかった事もありましたから寝過ごしたりした事もありました。
2人の時は、お互いに気をつけて失敗しないようにしていたのですが、一人だと、つい上手くいかなくなるものです。

ある時、一人でバスに乗って帰っていたら、途中からバスがいつもと違う道に曲がって進みました。
あれよあれよという間に、全然知らないところの終点に着いてしまいました。
どうして良いのか判らずに、半べそをかいて乗っていたら、運転手さんが優しく、「何処に降りるつもりだったの?」と尋ねてきました。
それで涙声で、バス停の名前を言うと、
「このバスは、もう少ししたら同じ所を戻るから途中、帰る方の道近くで降ろすので、そこから別のバスに乗って帰りなさい。」と言うと、アイスキャンディーを奢ってくれました。
運転手さんと二人でアイスを食べながら色んな話をしました。(ほとんど私の話でしたが)
それから出発したバスは、帰る予定の道との分岐点で、バス停でも無いところにバスを停めてくれて、私を下ろしてくれました。
とても嬉しかった思い出です。

新学期、小学生が、電車やバス通学しているのを見ていて思い出しました。
息子なんて、中学生で初めての電車通学でしたけど、何度も寝過ごしたり、忘れ物したりしましたからね😅

子供達の好きな歌でした。

この記事が参加している募集

私の遠征話

やってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?