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ep41 村境ルート探索#6 (上葛川〜笠捨山〜蛇崩山〜瀞峡 その②)

蛇崩山

 笠捨山から蛇崩山へのルートは入り口が不明瞭です。大きな反射板の脇を通り抜け、ナビに従い進みます。ここで注意、茶臼山への尾根道がなだらかなので一瞬引き寄せられましたが、直ぐに兄貴の判断で分岐へ戻ります。

ここを通り抜け向かって右へ進路を取ります
村境はこの先、茶臼山からの稜線へ入りますが今回は手前を下る

 落ち葉で滑りやすい急な尾根を下れば、歩き易い稜線へと移行します。この辺りは登山者も少ない奥山で、至る所に大きな杉がクマハギの被害に遭っていました。

木の樹皮を豪快に剥がされたクマハギ

クマハギの特徴
 クマハギは熊が木の樹液を得るために、樹皮を剥ぎ取ったものを指します。鹿も同じ様に樹皮を剥がしますが、熊の特徴は、まるでバナナの皮を剥いだ様に、樹皮が幹の根本にひっついています。また、門歯の跡で縦に数本の削られた様な跡が残ります。クマハギはその木をダメにしてしまうので、被害防止策として木にロープを巻き付けるなどの予防策が行われています。

 この様な熊のいる気配を感じながら、時折手を叩き、大声を上げて我々の存在を知らせながら前に進みます。途中にルートを間違えそうなピークがありますが、慎重に進めば間違える事はありません。この辺りから進行方向左は立合川の水源地となり、植林地が広がっています。一方右側は自然林が多かったです。

古い石杭が残る
時折見せるなだらかで美しい尾根
動き出しそうなこの子は“ミギー“と名付けられました

 蛇崩山手前に一つピークを迎えます。熊谷の頭と表記されていました。この谷はこれから進む尾根道の右下に流れ、下葛川に注ぎます。左の立合川は遥か下にある様に思えます。ただ、この左下がずっと気になって、時折下りれる場所が無いか探しながら歩きました。

木地師がいたとされる立合川奥八丁(八丁河原)
 木地師は轆轤(ろくろ)を回してお椀や茶筒などを作る職人さんです。その起源は惟喬親王
(これたかしんのう)とされ、全国各地の木地師達は皇族であった親王を祖とし、気位が高かったと言います。この場所にかつて木地師の集団が住み、菊の紋を装飾したお墓が残っていると言うのです。

 ここへ行く前に十津川村の廃集落並びに歴史にも詳しい方からこの話を伺いました。後にYouTubeチャンネルご紹介します。私は八丁河原の存在も知らなかったので、伺った話で一気に興味が湧き、この場所に行ってみたくなりました。そこで、ここを通過するであろう、沢登りをされている方々の記録を夢中になって探しました。

 どうやらそこは立合川の源流で伏流となった広い場所であり、廃小屋が一軒ポツンと佇んでいます。沢登りをする方々がここに到達すると写真に収めるシンボル的な存在です。立合川周辺は植林が盛んで、山仕事で使われていたものでしょう。残念ながらお墓の写真を見つけ出す事は出来ませんでした。

※追記
 後日、若い頃この地を訪れた時に墓石を見たと言う村民に話を伺いましたが、昔の事だったので詳しくは覚えていないそうです。ただ、幾つか並んでいたと言う事です。
 最近になって村境探索メンバーの1人が入り、かなり詳しく探したそうですが、墓石を見つける事が出来ませんでした。微かな踏み跡を見つけ、ルート開拓して頂いた事に感謝です。

蛇崩山から始まる長い尾根道
 熊谷の頭から近くに蛇崩山があります。事前の調べ通り、眺望のない小さな丘の様です。ここから先、下り初めはかなりの斜度で、逆に登って来る事を考えると気持ちが萎える程です。地図上でこの尾根は破線も無いので登山者が入る事は滅多に無い様です。

こんもりとした丘の様な蛇崩山
ここら一帯は熊の縄張りなのか、クマハギが多いです
自然林の尾根は美しい

 この尾根をトラブル無く行けると確信したのは、昨年立合川を挟んだ西峯〜茶臼山〜笠捨山〜蛇崩山〜東野ルート(立合川分水嶺)を一撃で制覇している方が居たからです。これはよほど体力が必要なので、屈強な方なのだろうと思っていました。

 実は、この山行前日、久々にLINEで連絡をしてくれた“けいいちさん”と言う方がいました。彼は私達が運営している大和トラディショナルトレイル(YTT)で、初めて大和平野一周をチャレンジしたメンバーでした。なんと、去年立合川分水嶺ルートを踏破していたのはけいいちさんでした。またご一緒出来るようにメンバーになって頂きました。しかしあのコースを一撃で踏破するとは驚きです。今度詳しくお話を聞きたい所です。
▶︎参考になった記録 立合川分水嶺(西峯・茶臼山・笠捨山・蛇崩山)

 話を戻して、この長い尾根道を下って行くと、ふと里山感が出て来ます。肌感覚なのでしょうか、クマハギも見当たらなくなります。徐々に人の入った気配が増え、綺麗に枝打ちされ管理された杉山が続きます。下葛川のあたりに来ると、立合川を挟んで、西峰がよく見えるポイントにやってきます。今回はピークを拝む事は出来ませんでしたが、晴れた日は綺麗な形の西峯が見えるはずです。

この下には杉原集落有
まだ現役
林業用に作られた比較的新しい道です
西峯は雲の中
今日もありましたハミング1/3

 ここからいくつか小さなピークを踏み進めば、朝に車を置いた瀞峡近くにある橋が見えてきます。ここまで来ればゴールは近い!とほっとするのも束の間、急に踏み跡がなくなり不明瞭な急坂に出くわします。

 方向を確認しながら慎重に進みます。東野と葛川方面から来る古道の交差点手前でちょっとした岩陵があります。そこに登りつくと、北山川の蛇行する素晴らしい大パノラマが広がっていました。この景色は今回眺望が悪かったことを一蹴させるだけの素晴らしいご褒美でした。

急に進むべき場所が不明瞭になります
茂っていますが下れる斜面です
岩陵は下から回っても行けそうです
北山川を一望出来るポイントです
三重県紀和町平谷集落が遠くに見えました。反対から見たい!
道開き、交通安全の神、猿田彦大神の石塔がありました。
ここから往来する人々を見守り続けたのでしょう。
猿田彦大神のすぐ下、電柱を挟んで右奥から降りて来ました
正面奥は葛川へ続く古道です。

東野集落跡
 東野(とうの)は既に人が住んでおらず、数件の廃墟が寂しく山中に佇んでいます。ルートから少し外れますが、せっかくなので立ち寄ってみることとしました。今回私たちに八丁河原の存在をアドバイスしていただいた。“にわまるさん“と言う方が廃村集落等のYouTubeチャンネルを運営されています。私のような地元の人間でも知らなかった場所を紹介してくれるので、いつも興味を持って拝見しています。村境の探索に楽しみを増やしてくれるにわまるさんに感謝です。
▶︎YouTubeチャンネル にわまるniwamaru

 東野からは『筏師の道』として古くから生活動として使われた古道を瀞峡に向かって進みます。筏師の道は近年有志によって整備され、道幅も広く大変歩き易い道となっています。初めて歩いてみましたが、西峯から辿り着く北山村の小松という場所から瀞峡までの間を歩き通すことができます。

筏師の道が整備されています
今も残る家屋
首の無い地蔵は文化2年3月と書かれている様に見えます
1804年。江戸幕府はロシアといざこざしていた頃らしいです

 長い尾根下りはここで終了。瀞峡(十津川村田戸集落)に到着し、今回の探索は終了となりました。ここからは直接竹筒の方面に進路を取るか、松平参詣道を北上し、玉置神社に参って竹筒に入るか、コース選定には至っておりません。 竹筒周辺は前回雨により予定がなくなってしまったので、3月末に行く予定を組んでいます。

瀞峡
楽しい山行き有難う御座いました🫡

まだまだ村境の探索は続きます。

◯メンバー 【焚き火の兄貴、YTTケンちゃん】
◯動画はこちら👉🏼YouTube 
◯ルートはこちら👉🏼村境トレイル探索⑥ (上葛川~笠捨山~蛇崩山~瀞峡) - 2024年02月18日 [登山・山行記録] - ヤマレコ


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