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いじめって何だろう?

「いじめ」と何だろう?
実は、ずっと疑問に思っています。

もちろん、いじめの定義は存在しています。
いじめ防止対策推進法という法律に書かれていて、要約すると、加害者と被害者に何らかの人間関係があり、加害者が被害者に対して、精神的・物理的に苦痛を与えること。となります。

ここには程度が書かれていません。
どの程度からいじめになり、どの程度までは人間関係のトラブル(誤解)で済ませるのか、というのが書いてありません。
「被害者が『いじめ』と思えば、『いじめ』になる」というのが、最近の傾向かと思います。

とは言え、実際には、微妙なラインも存在すると思います。
例えば、数学の問題に悩む生徒Aがいるとします。
それを見かねた生徒Bが、「ここ分からないの?こうやって解くんだよ」と教えました。
後日、生徒Aの保護者から電話があり、「子ども(生徒A)が生徒Bからバカにされたようだ。いじめである」と訴えてきました。
詳しく聞くと、「『ここが分からないの?』というフレーズが、『こんなのも分からないの?』というニュアンスで聞こえ、バカにされている」と思ったらしい。

さて、ここで法律上の定義に照らし合わせると、
(1)AとBには人間関係がある
(2)BはAに精神的苦痛を与えた
という条件に合致するため、「いじめ」となります。

さらに、これが原因でAが不登校になったり、または退学したりすれば、重大事態として認定されることになります。

大人の世界では、親切心だよねと当然に捉えることでも、または笑って受け流すことでも、子どもの世界ではトラブルに発展することがあります。
子どもというのは未熟であって、だからこそ、いろいろなトラブルを経験し、友達ができ、時にはその友達を失い、笑うこともあれば、言い合うこともあり、そんな経験を経て成長するわけです。

もちろん、いじめは許されることではありません。
そんなことは今さら言うまでもないわけですが、とは言え、何でもかんでもいじめと認定する雰囲気が出来上がってしまうと、子どもは人間関係作りに臆病になってしまい、成長に必要な経験を積むことが出来なくなってしまいます。

よく加害者を守るのか、被害者を守るのかなんて議論がされますが、いじめには全く無関係な第三者の存在もあります。
いじめに敏感になりすぎると、そんな第三者の学ぶ機会を奪うことにも繋がります。

と、考えたとき、「いじめ」と「トラブル(誤解)」の線引きは難しいなぁと、思うわけです。
いじめって、何だろう?と疑問に思うのです。

加害者の考えがあり、被害者の考えがあり、保護者の考えがあり、学校の考えがあり、いじめ目撃者や友達の考えがあり、そして全く無関係な児童生徒の考えがあり、考えの方向性がそれぞれバラバラになることもあるので、明らかにトラブルの範囲では?ということも、問題が複雑化することはあるでしょう。

いじめ被害者を守ることが大前提となりますが、子ども達が失敗できる環境が整えられるように、もう少し考えても良いのかなとも思いますし、子ども達の成長する力を大人がもう少し信じても良いのかなとも思います。

まぁ、難しい問題ですが。。。

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