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母の儀式?

わたくし、中学3年生になった春の頃の話。

ある日の夕方の一幕です。

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母「あ、そう言えば、こうたって高校行くの?

私「へ?行くけど。(…ん?なにを言おうとしてるんだ?)」

母「あ、そうなのね!おっけー」

私「ん?「行かない」とかあるの?」

母「上の2人(兄2人)にも3年生のとき同じこと聞いたんだけどね、一応義務教育おしまいだからさ!」

私「あ…義務教育ね。まー、高校行くよ。サッカーしたいし。(ははーん、受けなきゃいけない教育、あんたの義務、は終わったから自分で選べーみたいなことか!?)」

母「あ、義務教育って大人の義務だからね

私「…ん?…え??」

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すでに兄2人が高校進学している私は、
「さあ、高校サッカーどの高校でやるんだ…」
なんてことしか考えていなかったわけですが、

この「母の儀式」により、まさか義務教育が大人(社会)の義務であり、一方で子どもたちには教育を受ける権利(教育への権利)があるということを私ごととして体感して知ったのです。

義務教育の最終年度に…

思い出してみれば、これに近いことが「子どもの権利条約」でもあって。

ようやく子どもが持つ権利の内容を知ったのは、

「子ども」最終年齢、高3のときでした…

あゝ…

いや、どっちも早く言ってくれよー!!!

くそー!
やられた!
もう少し心待ち軽く生きることができたかもしれないじゃないか!


(ただ、義務教育や教育への権利については社会の授業でやっていたはず…。少なくとも、日本憲法全文を丸写しする、という夏休みの宿題を経験している私は触れないわけがないはず。まー、ただの指の修行と化してしまっていたため「知」とはならず、残念!)

〜おまけ〜

儀式の執行者である母が中3の時どうだったかと言えば…

「あの高校へ行こうと思う!制服かわいい!

と父親(祖父)に打ち明け、しっかりめに思いとどまされたとのこと。

執行者になるには、まだまだ道のりが長い中3の母だったのでした。ちゃんちゃん。



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