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どうしても弱い自分

今週から、今学期の授業がスタートした。
今までは自分のやるべきこと、やりたいことばかりを、小さな家にこもってやっていたわけだけれど、今週からは大きな見知らぬキャンパスに飛び込んで、会ったことのない大勢の人たちと授業を受けていた。
ただ、こちらでは授業と言っても、lectureではなくworkshopと呼ばれる、いわばディスカッションである。先生が前にだってずっと講義するのではなく、それらをオンラインで事前に済ませ、対面では学生と教授を含めて全員でテーマについて考えていく。こういう形式の授業は日本では受けたことがなく、またこちらにきて授業を受けるまで知らなかったので、はじめはカルチャーショックを受けたし、ついていくことが難しかった。英語で人と話した経験があまりなかったし、ましては初めて学習するテーマについて、知らない人と英語でディスカッションするなんて、その頃は不可能に思えていた。各授業の予習に、1日かかっていた。ただ、人間は慣れるもので、今では適当に準備して、自分の意見を言えるようになってきた。もちろんまだまだ完璧には程遠いが(完璧という状態があればだが)、それでも大きな進歩である。

授業を受けたこの1週間で感じたのは、自分がいかに殻に閉じこもっていたかということだった。
先週のわたしは、どこへ行くにも誰かが追いかけてくる気配をなぜか感じていて、歩いている人を外で見かけただけですぐさま家に帰りたくなってしまっていた。
同じようなことは、1年前にも起こっていた。
わたしが初めてひとりで海外に来て、生活した最初の1週間ほど。
わたしはすべてを怖がって、スーパーマーケットにすらひとりで行けなかった。でも知っている人が誰もいないから、仕方なく震える足で必要最低限のものだけを買い、会計で意味の通っていない発言をし、反省しながら帰っていた。初日は信号の渡り方がわからなくてスーパーマーケットに行けなかったため、水道水を飲んではいけないと思っていたわたしは喉の渇きにひとりで必死に耐えていた。よくここまで生きてこれた、と自分でも思う。
その頃も、今も、対話が足りていなかった。
日本語の細かい定義はよくわからないけれど、わたしにとって対話というのは、見知らぬ人とかわす軽い会話ではなく、自分が自分だと再認識するような、心地よいクラスメイトや友達、家族との会話なのだ。それこそが、自分がよりパワーアップしていくための、替えのきかない武器なのだと思う。

弱い、怖がりな自分を、力技でどんどんいろんなことに挑戦させると同時に、そこに楽しみを見出すことで、だんだん強くなっていけるんじゃないかな、今週はそういう気付きです。


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