ただのエイジ

なにものでもない、ただのわたしの「promenade」。そんな日々に、散りばめられた、…

ただのエイジ

なにものでもない、ただのわたしの「promenade」。そんな日々に、散りばめられた、ひとりごと。

最近の記事

ママ、ダイスキライ!

次男くんが小さかった頃。とあることがあってママに叱られた彼が言い放った。「ママ、ダイスキライ!」。 ある朝、「きょう、ママ、おしごとやすんで!」と次男くん。妻のお腹の中に三男くんが育まれていた。その日、妻はお腹が張っていて急きょ仕事を休んで病院を受診。切迫早産の兆候があることがわかった。妻は1か月ほど早く産休に入ることになった。 「赤ちゃん、まだ生まれてこないって!」とママに伝えてくれた次男くん。妻が助産師さんにそのことを話した。「きっと次男くんがサニワみたいにお腹の赤ちゃん

    • 春と桜と大切な場所 pásele と

      大切にしている場所に朝イチで妻と出かけた。おいしいホットチョコレートとチュロスが頂けるお店。 ある日のこと、散歩の途中、喉の乾きを潤そうと自販機でのみものを買った。そのときに妻が偶然見つけたのが pásele (パセレ)だった。 そのお店は店内に身を置くだけで不思議と落ち着きを与えてくれる。こころがほんわかと温まる。 店主の所作が何よりもステキなのだ。そして、ホットチョコレートはからだの芯から温まる。チュロスはスパイスがアクセントを効かせる。ほんのり甘くてスパイスの香りがたち

      • コーヒーもキラキラしている☆

        今朝、コーヒーをドリップした。豆から挽いたコーヒーの粒たち。お湯を注いだ瞬間、朝の陽光を浴びてキラキラしている。その粒たちから小さき気泡がぷちぷちっと出ている。気泡までも陽光を浴びてキラキラしている。 ぼくは、この瞬間を、ただじっと眺めているのが大好きなのだ。ドリップコーヒーの香りも大好きだ。気泡がぷちぷちっと微かに音を発するのも大好きなのだ。自然に笑みがこぼれる。 気泡は外の世界に放たれ何処にゆくのだろう。そんなことをぼんやり想うことも大好きなのだ。日々の暮らしのおまけのよ

        • こんな日が来るとは

          こんな日が来るとは こんな日は近くにあって こんな日でよかった 新宿の Furniture store にお出かけ お気に入りの家具屋さん 新たにカリモク60の仲間を迎え入れる こんな日が来るとは こんな日は身近にあって こんな日でよかった 青年になった息子と妻と私と 電車に乗って人混みの波をかきわけて 幼い息子の無垢な笑顔が重なる こんな日が来るとは こんな日は身近にあって こんな日でよかった 晴れの日も雨の日も風の日も穏やかな日も 妻と私と三人の息子たちと必死で

        ママ、ダイスキライ!

          節分とハンバートハンバート☆

          ライブでふたりが奏でる音をあびて、心身がチューニングされる。本来の自分に戻ってゆく。あのとき、あの場所で。 同じ時間と空間でしか味わえないものがある。ふたりの想いをまとった音たちが空間を満たし、こころとからだを揺さぶる。それらの音のかたまりは空間を震わせ、ただただ共鳴するのだ。それは大スキで愛おしい存在。 ライブでしか味わえない音たち。五感は総動員され、ふたりの想いをまとった音たちと共鳴し合う。 それはまるで節分という日に共鳴して新たな息吹を吹き込むかのように。自分の内にある

          節分とハンバートハンバート☆

          午前3時の禅問答

          等身大の自分になれてるのだろうか。そもそも等身大の自分って何? そんなこと考えてたら眠れなくなった。トイレで目が覚めた。午前3時。 あるお方のnoteを読んでたら、ふと、「等身大の自分になれているのだろうか?」と自分に問いかけてみたくなった。 ありのままの自分って、ここにいるのだろうか?そもそもありのままの自分って、存在させてあげられているのだろうか? 一言で言い表すとしたら、面白おかしく楽しく生きていたい。等身大の自分とは、大人という被り物を取り払った自分なのだから。

          午前3時の禅問答

          2024年1月のつぶやき

          1月13日 「ひとつながりの存在」 目の前に広がる世界(現実)は、わたしの想いが映し出されている。 たゆまず思い巡らすことで、こうして生きのびてこられたのだと思う。 問い続けてきた種族は生きのびて、答えを待った種族は滅びたのかもしれない。 正しい答えを見つけることではなくて、正しい問いを続けることなのでしょう。 ネイティブアメリカンのことわざとピータードラッカーの言葉が重なり合う。 問い続けることをけっして手放さない。 なぜなら、わたしは常に問われている存在なのだから。 なぜ

          2024年1月のつぶやき

          2023年12月のつぶやき

          2023年12月7日 大海原を航海している。ジュウハチのときから。時にやみくもに、時にひたすらに。出合いと別れを繰り返して。家族という新たなベースキャンプを授かり、今、ここにいる。 今でも大海原を航海している。過去との違いは、ひとりじゃないということ。いつでも戻れるベースキャンプが安らぎを与えてくれている。 ひとかたまりだったものから、ぷちっと離れて、70〜80年の航海を終えると、ひとかたまりのものへとぺたんと戻ってゆく。完全なひとかたまりから不完全な存在へ。不完全な存在か

          2023年12月のつぶやき