【映画評】ティム・ミラー監督『ターミネーター ニュー・フェイト』(Terminator: Dark Fate, 2019)
シリーズ最高傑作と言えよう。老いる人間、俳優、そしてターミネーター。人間化するターミネーター(CG)とターミネーター(CG)化する人間の差は果たしてどこにあるのか。それらは「オブジェクト」あるいは動く「表面」として明らかに対等な地平に立っている。
サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)、ダニー(ナタリア・レイエス)、グレイス(マッケンジー・デイビス)の3人の女優が堂々の主役を演じる(シュワルツェネッガーを「魅力的な」脇役の位置に追いやる)この作品は、しかもその過程で、これまで「子宮」(子産み機械)に過ぎなかった「女」を一個の「人間」、いや一個の「存在」の位置に引き揚げた。
今回は明らかな敵役の位置に留まったREV-9だが、こちらも近い将来、「男」の姿にこだわる必要も(半ば機械化/CG化されつつある)「人間」を敵視する必要もなくなるかも知れぬ。『ターミネーター:新起動 ジェニシス』のような悪夢的共生(あるいは置換)ではなく、真の共生を可能にする未来をこのシリーズは今後、追求できるかもしれない。
ただし、この映画が、老いたシュワルツェネッガーの筋肉、あるいはハミルトンの肌、中性的な女性であるデイビスの肢体といった「表面」を観客(透明化した主体)の窃視症的な快楽のために提供しないのだとすれば、そして、もはや人間的とはいえない、硬質で機械的な内部骨格ばかりを晒すのであれば、それが観客離れを招くのも当然かもしれない。人は何も政治的に正しいものを見るためだけに映画館に来るわけではないのである。
その意味でも、REV-9の纏う液体金属をいかに艶かしく蠢かせるか否かに、続編の命運は、かかっているのではないだろうか。
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