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一瞬の幸せ。既にある幸せ。変化。

幸せは永遠には続かない。
「幸せですか?」そう聞かれたら、その時によるとしか言えない。
だって常に幸せなんてことない。
家族や恋人との旅行の日が決まった。
その時はウキウキ、ワクワク。
その日が待ち遠しくてその日まで活力が漲って頑張れる。
そんな時が一番生きてることを実感できるのかも知れない。
楽しい時間が終われば抜け殻のようになり、まるでゾンビ。
ご飯を食べる時だってそうだ。
私は美味しいものを食べることが好きだ。
頭の中の半分くらいはいつも食べ物で埋め尽くされている。
明日何食べようかな。今日は何食べようかな。
食べる前と食べてる時は幸せで、食べ終わった後の虚無感がえげつなくて。
いつも幸せを感じられるのはほんの一瞬だ。
だけど久しぶりに家族や恋人と会う時だったり、久しぶりのご馳走やチートデイはより一層幸福感が高まる。
ジェットコースターのような高低差がいつもより幸福感を高めてくれるようだ。
人間はきいつも幸せだとそれに慣れて幸せじゃなくなっちゃう。
永遠に幸せな時間が続けば良いのに。
でもどこかで飽きがきたり満足がきたりしないときっとダメなんだろう。
でも有限であることや一瞬の喜びが儚くて、美しく感じられる。
あるいは不幸じゃないことが幸せとも言えるかも知れない。
何事も受け入れることでいくらでも幸せを実感することはできる。
不幸を感じた時は、今あるもの、残ったものに目を向けるようにしている。
失ったものの数より今残っているものの数を数えるのだ。
特別何かが長けていなくたって健康な体がある。毎日ご飯が食べられる。母親が生きている。
そうやってあるものに目を向けると日常に感謝できるようになる。
この考え方ができるようになったのは漫画「ワンピース」のマリンフォードの戦争で兄エースを失い落ち込むルフィに向かってジンベエが言った「今あるものは何じゃ」という問いに対してルフィはまだ仲間がいることに気付かされるシーンの影響が大きかった。
幸せはもう手にしていたことに気付かされる。

人間はいつも何か変化を求めてる。
同じことや同じものに満足できない。
ご飯もそうだけど美味しいものは確かに美味しいのだけれど、久しぶりに違うものを食べてみると「これ、こんなにおいしかったっけ?」なんて思ったりする。
あるいは同じものばかり食べていると美味しかったものが美味しく感じられなくなってしまう。
きっと人間は偏ってはダメなのだ。
住む場所も環境も少しずつ変えていかないと息が詰まりそうになる。
人間の生はほんの一瞬で常に老いへ向かって走っている。
でも一瞬だからこそ有限だからこそ価値があって、永久不変の世界にはきっと幸福という概念は存在しないのだろう。
老いることや変化も人間の儚さ、美しさで過去の自分は死んでいく。
常に人間は生まれ変わり続けているのだ。
小学生の頃の自分、過去の自分ははもう死んでいて、今の自分は昔の自分とは別人なのだ。
何か足りないと思ったら些細な変化を試してみることだ。
多くの人は老いることに抵抗があるだろう。
私も何となくそう思っていた。
老けるって直感的になんか嫌だ。
でも最近初めて会った人の中にむしろ早く年を取りたいという人がいた。
今の私にはまだ理解できなかったがきっともっと年を重ねたらその考えも理解できるかも知れない。
そうやって見えるものが変わって考え方を拡張できるのも変化、老いることの楽しみかも知れない。
変わること老いることは素晴らしいことだ。
拒む必要はない。
人間は変化を求める生き物だ。
老いることで新しい人生が始まるのだ。
人間ならば当然のことだ。


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