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歌舞伎狂言「三人吉三廓初買」河竹黙阿弥 レビュー ー流転する宝剣と循環する貨幣ー 2話

 ここまでのあらすじをもとに、宝剣(庚申丸)とお金(百両)のそれぞれが次々と人の手を渡っていくことについて考察する。まずは、古今東西の物語の中での宝剣の役割について。

 神話・建国の時代には宝剣は「英雄そのもの」の象徴である。日本であれば草薙剣である。国が治まって王朝の世襲体制が確立すると、それは「王権の正統性」を示す三種の神器(の1つ)に変化する。ときに宝剣は、世襲の証だけではなくて、建国(中興の祖)のヒーローがかつて存在していた正統なる王朝の末裔であった、というややこしい口実(大義名分)に使われることもある。

 つまりは、建国の段階から「宝剣」は「英雄そのもの」の象徴というよりは、これから(再)建国するに際しての「王権の正統性」として利用されることもある。ただし、単純に宝剣を所有しているだけではその「王権の正統性」の証明書にはならないように物語はできている。中世の説話、例えばアーサー王伝説では、魔術師の助言で王家を離れて育てられた王子が石に刺さった伝説の剣(エクスカリバー)を引き抜き、正当な王位承継者であると身を持って証明する。説話の構造の類型としては、高貴な血筋にある王子などの若者が、何かのきっかけで、王室での平穏な暮らしから引き裂かれ、世間で色々な苦労を積んで、あちこちと流転したくましく成長するのが貴種流離譚だとすれば、宝剣はときに、その王子のもう一人の分身でもある。

 ファンタジー系の冒険映画を思い出してみよう。映画のドラマ展開の中で宝剣はいったん敵の手中となるがお宝を得るには至らない。なぜならばもう1つ認証キーが必要だからだ。そこで、映画のエンディングでは認証キーとなるアイテムを見つけた正当な承継者が解錠に成功してお宝(宝剣)を奪回するシーンが典型的となる。ときに認証キーは生体に現れた聖痕である。例えば、南総里見八犬伝の犬士たちには牡丹の形の痣であろうか。こうして、王子と宝剣と聖痕(認証キー)がセットとなって王権の正統性の証明が完了する。

 ところが、そもそも承継すべき王朝が衰退している時代にあっては「王権の正統性」を示す宝剣は価値が軽減し、ときに何の役にもたたない。王朝の中での後継ぎへの委譲だけでなく、次の正統な王朝候補にその地位が受け渡される(禅譲)のであれば、玉璽のように譲渡されるのだが、国王が大衆を支配する封建制度(宝剣制度と呼ぶべきか)も終焉し民主主義の時代がやってくれば、為政者には宝剣も玉璽も必要ないので、その意義を失うであろう。こうなると、王子と宝剣と認証キーの照合のプロセスは破綻してくる。

 歌舞伎の世界で紛失した宝剣を探すような演目を探してみると、少なくない数を確認することができる。バリエーションは複数あるが1713年の「助六由縁江戸桜」では助六という侠客と成りすました曽我五郎が、源氏の宝刀「友切丸」を探す。1800年の近松徳三と奈河篤助の作なる「小栗判官」では盗賊・風間八郎に奪われた「水清丸の剣」を探すべく小栗判官は旅に出る。1813年の鶴屋南北の「於染久松色読販」は名刀「牛王吉光」を巡る紛失騒動である。
 
 長々と外堀を埋めるような説明に始終してしまったので、「三人吉三廓初買」での「庚申丸」の考察に話を戻そう。この歌舞伎の時代設定は、鎌倉時代の将軍「頼朝」となっているが、江戸時代の徳川家と理解してよい(当時は幕府から直接的に政権を揶揄するようなタイトルと内容の公演は禁じられていたからである)。

 「庚申丸」は、本来は経済的な価値よりは、武士として仕官のための許可証である(それも頼朝公に献上すれば仕官できるかもしれないという登場人物の憶測と願望に過ぎない)しかも、その入手の由来を欺いて仕官できたとしても、仕官の道具として使えるのは武士でしかない。つまり身分の違う町人は刀を手に入れても仕官できるわけではない。町人にはその価値の多寡に関わらず転売してお金に換えるだけしか使い道はないし、お金や商品と違って誰かが必ず買い取ってくれる保証もない。つまりはお金のような交換の万能性がない。一方で、お金は町人が支える流通経済の要である。町人だけではなく武士にも役立つ実用性と普遍性がある。必要な商品と交換でき、貯めておくこともできる。というところで、武士の世界と町人の世界、宝剣とお金という枠組み、の対比を指摘することができる。

 ところが、「庚申丸」を与えられた安森家は、その盗難を咎められてお家は断絶、後継ぎの子や家来も離散している。おまけに「庚申丸」は、川に捨てられて錆びついている。実際、これを手にいれた郡蔵は研ぎ師の予九郎に刀研ぎを頼むほどである。つまりは、「庚申丸」は江戸の「武家」と「武家社会」の象徴である。錆びついてボロボロである。文化文政の退廃期にあっては武家の権威もその程度であろう。これを出世に利用しようとした郡蔵が殺されたあとは、武士としての真っ当な受け取り手も存在しない状態にある。もっとも、郡蔵が「庚申丸」を頼朝に献上できたとしても、そもそも安森家に与えた刀であることから、その入手の由来を疑われるだけでなので仕官は最初から無理な計画でもある。その点で先に示したような典型的な宝剣を巡る物語とは少し事情が異なるのだ。

 新潮社版「三人吉三廓初買」の校注者の今尾哲也も、「宝物が葛藤の展開の媒体として用いられる場合、通常、その宝物の喪失に絡んで、劇の全体像にかかわる敵役が設定され、かつ活躍する。」が、上述したように軍蔵、与九兵衛、太郎右衛門のいずれも劇の早い段階で舞台からは消えており、「葛藤の言原動力となるような力を持つ敵役は、一人として登場しないのである」と本書解説で述べている。

 執筆に際しての時代背景を確認してみると、1860年に三人吉三廓初買は「八百屋お七」の放火事件を題材に書かれた。その放火事件が実際にあったのは、ずっと前の1683年のことである。しかもこのお七が恋人に会いたい一心で放火した事件を題材にさまざまな小説や戯曲が書かれた。事件の3年後には井原西鶴の好色五人女に恋草からげし八百屋物語でお七を書いている。に書かれている。1740年が浄瑠璃「潤色江戸紫」の初演、1757年には近世江都著聞集が書かれ、1821年には本作への影響も大きい鶴屋南北の「敵討櫓太鼓」が書かれた。お七の放火事件のあった将軍綱吉の時代と三人吉三廓初買が書かれた家茂の時代とは背景も大きく異なる。黙阿弥でなくても、「この時代は長くはない」とデカンダンスな気分であったことは間違いない。庚申丸が錆びてボロボロなのも容易に理解されよう。

 綱吉の時代であれば、宝剣の奪還はお家の再興あるいはお取りつぶし回避を可能としたが、家茂の時代はもはや復興すべきお家の未来もどうなるかわからない。つまりは、宝剣はもとに収まる場所を失っていて、市中で買い手がつくまで身を任せるしかないのだ。


 
 次は、お金(百両)の流転について考察したい。

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