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アメリカのパンが包むもの

 固いパンの話ならいくらでも書ける。
 一つ目の話。初めてアメリカに住むことになった時のことである。空港に迎えに来てくれた上司は、アメリカに来たら、まずあそこでお昼を食べよう、と本場焼きたてハンバーグのハンバーガーショップに連れて行ってくれた。鉄板の上で香ばしい煙の上げていたハンバーグは、そのままズシリとダブルベッドに横たえられるように大きな輪切りのパンにのせられ、どうだと言わんばかりに両手にずしりと渡された。受け取った僕は、自分でピクルスやたまねぎを加え、ケチャップとマスタードをかけた。食べる準備は整った。

 それは、最初の一口で、肉を食らうとはこういうものかと感心し、二口目に、あのマクドナルドのダンボール紙のようなパンと肉はいったいなんだったのだろうと後悔し、半分も過ぎればあとは食べきるまで負けられないという意地に変わる。食べ終わったあとに残ったのは満足というよりは東京マラソンを完走した達成感に近かった。

 その通過儀礼のあとである。オフィスで挨拶した一年滞在の長い先輩は、挨拶もほどなく、あれを食べたのだと確認するように応えると、ハンバーガーは如何にパンがしっかりしているかが大事かを、スーパーのパンの銘柄を具体的にあげて、常識なのか通説なのか持論なのか、滔々と教えてくれた。まだアメリカのスーパーでどんなパンが売っているのかも要領を得ない自分は、よくわからないながらも頷いた。そして、たかがパンから勉強を始めなくてはいけないのだろうかと、小学生のような気分になった。

 二つ目の話である。アメリカでは、かつて漁村だった浜辺をおしゃれな観光地に再開発しており、全国各地にフィッシャーマンズワーフという名称のスポットが点在する。フィッシャーマンズワーフのレストランにはメニューにはクラムチャウダー・インナ・サワードウがたいていある。サワードウと呼ばれるちょっと酸っぱい酵母で焼いた丸くて大きいパンの真ん中を器のようにくりぬきクラムチャウンダーを注いだ食べ物である。つまりは、パンがちょっとしたドンブリなのだ。

 最初は、熱い湯気たつクラムチャウンダーをスプーンでおいしくいただく。続いて、クラムチャウダーの滲み込んだサワードウの内側をちびちびとパンをちぎりながら味わう。そして、空っぽになった小さな洗面器のようなサワードウの器を、中身を平らげた勢いで、喰らいつくすのである。
小学校の給食を思い出す。先生は、食べた後の食器は、パンできれいに拭きましょうとは、教えてくれたが、食器の食べ方までは教えてくれなかった。独特の酸味を含むサワードウは、教室の机の奥にへばりついていた1週間前のコッペパンのようで、あまり美味と言えるものではなかったが、満腹感を再確認する儀式のようで、それなりに楽しい作業であった。

 三つ目の話である。
 キンダーガーデンにいれた次男は、ランチにおにぎりをいれるのはいやだと抵抗した。黒いノリが周囲の好奇の的となったらしい。そこで、スーパーで買ってきたパンで母親が作ったサンドイッチをもっていくことにした。とは言え、パンについて言えば、日本の食パンのミミのような感触で、飲み物なしではのどを通りにくい代物である。

 果たしてちゃんと食べているだろうかと案じた。次の日から、帰宅すれば、ランチボックスはきれいに片付いているので、母親も安堵したが、みるみる痩せた。おまけにすぐに日焼けする体質のようで、カリフォルニアの日差しに、パンツの下まで真っ黒で、ひょろひょろのゴボウのようになった。

 ランチボックスの件は、あとで、インド人の先生が、息子はいつも、見つからないようにゴミ箱にポイ(ディスポーズ)していると、そっと教えてくれた。よほどパンがまずかったのだろうか。次男の体重に関して言えば、日本に戻ってマクドナルドのハンバーガーばかり食べているうちに、人並み以上に戻った。

さて、米国のパンが固いことについての材料力学的な理由は、先輩の教えてくれたとおりだった。その後、生活して固いパンと格闘しているうちに納得することになった。赤みのしっかりした肉と一緒に齧り付くのには、柔らかすぎるパンでは、バランスよくつかむのも、前歯で噛み千切るのも、飲み込むのも少しばかり難しいのだった。 適度な固さのパンが、肉汁を吸収し、肉をささえ、食べ終わるまできちんとつかんでおくことができるのだ。

 教訓的なメタファーとして言えば、一緒にはさんで食べる食材のマテリアルとそれを包み込むパンの間には、固さや弾力性という点で、相性が大事なのだといえる。

 さて、アメリカのパンが固いと書いてみると、その比較となる日本のパンがやわらかすぎるのだというのが公正な見識でないかと思えてくる。世界のパンを食べ比べたわけではないのだが、あのコンビニに売っているような日本のパンは世界一番やわらかい部類に入ると思われるのだ。 なぜ、世界で一番やわらかくなってしまったのだろうか。その答えに至るヒントについては、食いしん坊の先達たちの著作の中に比較的たやすく見つけることができる。

 林望氏は、かつてベストセラーとなった「イギリスはおいしい」の中で、軽妙な語りとながらも、やや力み勝ちに、国文学者らしく折口信夫までを引用して、日本のパンのやわらかさについてこう語りだす。

「外来文化を受容するとき、新しい事項を受け入れるときには、必ず受容側にそれとなんらかの意味で相似性をもった固有在来の現象がなくては、その受容された外来文化は定着しない。」

 そして、日本のパンがやわらかいのは、フランスパンではなくイギリスのパンを選択したこと、また、ここでいう「相似性をもった固有在来の現象」とは、日本のご飯であるとして、次のように続ける。

 「われわれの知る『主食』というものは、白くて、水気がたっぷりあって、もちもちしていて、湯気の出るような温かさをもつ、というあの『ご飯』であった。結果として、より自分たちの主食に近いイギリス式の食パンを選び取ったのは、これはこれで充分に妥当な選択であったと思われる。」
 「こうしてわれわれの食パンは、時を遂って、水分を増し、柔らかくなり、厚く温かく、段々とご飯の持つテクスチャに接近して行った。その結果、あのダブルソフトなどという、まるでふんわり炊きたてご飯にも似た、日本食パンが出現してきたのである」

 そして、イギリスから帰ってきて、日本の食パンを食べてすぐに気がついたことは、この脆さだったことを悲嘆し、薄く切ってバターを塗ろうとした途端に、はかなく折れてしまった、と結んでいる。

 いささか機能主義的な考察には、容易に首肯できないものがあるが、かつて日本サッカーチームのトルシェ監督が、日本人はきちんとレストランで肉を食わないから国際試合に勝てないのだと豪語したとき、コンビニのふんわりとしたパンを食べている日本選手の姿が目に浮かんだ。もっとも、柔らかいという観点では、ベトナムのライスペーパー(バンチャン)は日本のパンに優る。 ベトナム料理は、ベトナム人の多く住むシリコンバレーでも食する機会が多く、お世話になった恩義があって、ふれずにはいられない。

 茹でた海老や豚肉から、香草、シソの葉などの野菜を透き通るライスペーパーで包み込んで完成したゴイクォン(生春巻き)は、その洗練性において、日本のお家芸の懐石料理に近い

  四方田犬彦氏は、読者の心を軽妙にくすぐる「食卓の上の小さな混沌」で、ゴイクォンへのオマージュを書き尽くした後で、包みこむ料理の意味をこう考察する。

 「包むとは、もとよりばらばらに存在していた要素を一所に集合させ、味覚を多元的に組織することだ。…まとめあげられた包みのなかで肉の甘さと香辛料の辛さが混ざり合い、口のなかでいちどに解放され、思いもよらぬ複雑な風味をもたらす」

 ならば、と考えた。ハンバーガーの固いパンも生春巻きのライスペーパーも、その中身の食材を形づけるための入れ物=フォルムではないか。中身の食材は、それだけでは、形も料理の方向付けも何もない、料理以前の炭水化物やたんぱく質の集まりにすぎないものの、一度、包み込まれてフォルム=形式を獲得した瞬間に、その料理としての存在性を勝ち取るのだと。 いささか哲学めいた考察に始終してしまったが、簡単に言う努力を付け加えるとすれば、あのクラムチャウダー・インナ・サワードウも、固いパンの器がなくては、スープに過ぎないが、パンを伴侶と得てようやく、食べ物へと変容するのだ。

  さて、これまでパンという身近な食べ物をその食材だけに注目して述べてきたが、食べ物についての考察を、そこにいた人々のことにふれずに、食材とそのメタファーの議論だけに始終してしまっては、その紹介の義務はまっとうできていないように思える。

   実をいえば、アメリカから帰国して十年以上たち、カリフォルニアは、本当は、お芝居の書割だったのではないかと思うようになってきた。僕を、最初に歓迎してくれたR社のエンジニアはベトナム人だった。その同僚の工学博士は、東欧系だった。一緒に仕事をしてくれたNさんは母国シリアにはソフトウェア産業はないと言った。現地コンサルタントは、社名にブランデンブルグと冠することようにドイツ系で、大学に勤める奥さんのサバティカルでマレーシアに旅立っていった。経理の中で一番めだっていた彼女はフィリピン系だった。  

  僕らは、週に二、三回はチャイニーズレストランにでかけ、月に一度は、コリアンバーベキューを楽しみ、年に、二、三回は、タイのトムヤンクンか、インドのタンドリーチキンを堪能した。現地人とのフェアウェルランチはイタリアンだったし、三年の滞在の最後に、一度だけ、フランスレストランにでかけた。

 半径十キロの小さな地球に暮らしていたともいえる。おまけに、アダルトスクールの英会話クラスに行けば、このほかに十カ国ぐらいの出身のクラスメートがいた。英会話クラスのクラスメートの半分以上は、ヨーロッパを中心とする国から、ベビーシッターの仕事で短期滞在にやってきた若い女性たちだった。彼女たちは、おおむね、日本人の駐在員よりは流暢な英語を話し、滞在先の家庭から借りた車で移動し、お互いにすぐに打ち解けていた。
季節の嵐が過ぎていくように、彼女たちは、滞在期間を終えると、あっという間に教室から姿を消した。それに変わって新学期になれば、また少し母国語のアクセントのある新しい仲間がやってきた。

 先に多様な食材を包み、肉というマテリアルを支えるには、固くて弾力性あるパンが必要なのだと書いた。それは、あらゆる人種の市民と外国人を受け入れるアメリカの包容力と厳しさにほかならないのではないか。少し楽観すぎる評価かもしれないが、多少の恣意性はあっても合意されたアメリカのルール社会の範囲内では、それがアンフェアぎりぎりのことはあっても、外国人に対してもフェアであると思っている。

 9.11以降、アメリカの思想も経済もがらりと変容してしまったというが、イスラム原理を含む新たな外の文化を受け入れるもっと固いパンがアメリカに求められているのではないかと思うのだ。もしそれが例えば、弾力性の問題であって、日本の技術・思想をもってして改善に寄与できるのであれば、それは日本にとっても悪い話ではない。

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