聖天使オパールは闇落ちしました 1

『あらすじ』
 デモンと呼ばれる怪物が出現し、それを倒すために『聖天使』たちが活躍している日本。
 平凡な中学三年生・音羽拓生は偶然、クラスメイトの虹野彩が『聖天使』だと知ってしまう。
 拓生は密かに心を寄せる幼馴染みの那智遥に振り向いて貰うため、彩と行動を共にする。
 様々な戦いを経て徐々に彩と心を通わせ、ついに結ばれる拓生と彩だが、実は拓生が好きだった遥が激怒し、彼は彩と強引に別れ、遥と付き合うこととなる。
 嫉妬と絶望の中で、『聖天使』の彩は徐々に常軌を逸していき、遂に彼女の精神は拓生への思いで暴走してしまう。

 用語紹介

『聖天使』……女神様から選ばれた少女。デモンを倒し地上に平和をもたらすために存在している。

『デモン』……突如、世の中に現れだした怪物。実は絶望し果てた人間の変貌した姿。

『本文』

「麗しき夢と未来の虹、セントエンジェル、オパール!」

 黎明の光のように鮮烈に、その声は闇を引き裂いた。

 七色の閃光は、西の果てにとうに落ちた太陽よりも強烈に暗い世界を照らし出し、一度は宵闇に陰った周囲のビル群が、顔色を取り戻したかのように再び現れた。

 輝きの中心、光源たる一人の少女は油断なく身構え、周囲に視線を配っている。   

 不意に獣が発したような、言葉にならないうなり声が上がった。

 光の少女がぱっと身を翻す。

 ずざ、と寸前まで彼女が立っていたコンクリートの床に何か、黒い生きモノが降り立った。

 黒く、てかてかとした表面、人間の形をベースにしてはいるが、四肢はねじくれ、顔面は憎しみにおぞましく歪んでいる。 

 端的に言うと、それは『化け物』だ。

 だが、息を殺して見入っている少年は、その『化け物』の名前を知っていた。

 ―─『デモン』だ……。 

 彼は少女と黒い怪物の双方に気付かれまいと、手近にある給水タンクの陰に蹲る。

 少女と『デモン』の戦いは始まった。
 黒い怪物に、拳が蹴りが何発も炸裂する。
 その度に耳を塞ぎたくなる叫びがこだまし、少年の呼吸は細くなった。
 二人の戦いは、いつ果てるかも判らず続いている。あるいは永遠に終わらないのか。 
 が、突然にあっけなく、それは終了した。

『化け物』が打撃により弱ったのを見極めた少女が、何かを語りかけた。

『デモン』は今までとは異なる、超音波のように高い悲鳴を上げ、灰黒いコンクリートに潰れたように伏せる。

 今までの獰猛さ、凶暴さが嘘だったかのように、『デモン』は倒れがたがたと怯えていた。

「ピャリファイ!」

 少女はそんな『デモン』に指を差す。
 神々しい七色の光が彼女の小柄な体からほとばしり、『デモン』の黒艶の身を包み込んだ。

 突如、辺りに静寂が戻ってきた。
 鈍い殴り合いの音も、『化け物』のうなり声もない、静かな夜が帰ってきたのだ。
 光の少女・聖天使(セント・エンジェル)は安堵したかのように肩を下げると、再び目も眩む閃光を発した。

 彼が目眩に耐えながら瞼を開くと、そこには聖天使はいなかった。 

 ただ、一人のセーラー服の女の子が立っている。

 その純白のセーラー服に見覚えがある、と思ったとき、少年は「あっ」と声を上げていた。
 びくり、と少女、変身を解いた聖天使は振り向く。
 大きく見開かれた目があった。

「はわっ」

 と、どちらが最初に口にしたかは判らない。
 だが二人はほぼ同時に、「うにゃぁぁぁぁ」と叫んでいた。

 朝の教室は新鮮だ。
 前日ぐっすりと寝た生徒達が、たっぷりと力を蓄え、若い活力を熾烈に発散しているからだ。
 その日は、五月にしてはじめじめしている曇り空だが、すくなくとも歓声と笑い声の弾ける教室は活き活きとしていた。

 音羽拓生(おとわ たくみ)は自分の席に着席し、内心の動揺を隠して三年四組を見回した。

 高校受験の年だと言うのに、みんな頬を紅潮させて談笑し合っている。手近に人生最初の不安が迫るというのに、気にしていないようだ。
 あるいは、敢えて受験生であることを忘れようとしているのかも知れない。少なくとも朝だけは、だ。

 しかし、拓生はそれこそ今、それどころではなかった。

 落ち着かず、机の上に出したカンペンケースやら筆記具やらを、細い指で弄ぶ。
 昨夜の出来事が、今日どう転ぶか判らないのだ。
 一際高い笑い声が上がり、拓生はびくりと肩を震わせた。
 視線を向けると、三人の少女、同級生がいる。
 心臓が微かに急ぎ出す。
 薄くらい教室の中にいるのに、妙に華やいでいる彼女達は、この神明中学校の有名人集団だ。

 一軍女子。

 とワープロ・ソフトなら変換される。
 那智遥(なち はるか)、三國(みくに)えみり、武藤望(むとう のぞみ)。

 皆、有名な集団アイドル群ならばどセンターへ立てるほどの容姿をしている、美しい娘達だ。

 彼女達は実は皆クラスが違う。遥だけが拓生と同じ四組であるが、イケてる三人は自らの容姿と評判をよく知っているので、いつも徒党を組むようにつるんでいた。オシャレや流行や男の品定め、を三人で声高に語り合う。

 全生徒達はそれに戦々恐々としている。

 男子生徒は品定めで酷評されると地の底まで落ち、女子生徒は彼女らに対抗できないから、ご機嫌取りのためのワードを密かに耳で拾っている。  

 三人はこの中学校の中心と言っても良かった。

 拓生はぼんやりとその一人、三人の中でもさらにその中心である那智遥を見つめた。
 ぱっちりとした大きな瞳に、高い鼻、やや細めの珊瑚色の唇。ロングヘアの髪は教師が見て見ぬフリをする風潮故に茶色に染め、遥の容姿は女の子達誰もが幼い頃に夢中になるリ○ちゃん人形のように異国人めいて、可愛らしかった。

 だから沢山のファンがいる。

 男女問わず、この学校以外、高校生、大学生からも誘われると聞く。

 我が身と比較すると、あまりにも差がある。
 拓生は呼吸困難にでもなったかのように、浅く息継ぎをした。
 かつては最も近くにいた彼女だったのだ。

「……て、また遥ちゃんを視姦しているのか?」
 不意に肩に手を置かれ、拓生は飛び上がりかけた。
 が、すぐにその主はわざわざ机の前、拓生の正面まで来て中腰になる。
「無理だって、高望みしすぎだよ」
 自身が一番判っていることを簡単に言葉にし、拓生をイラっとさせたのは松居吉郎(まつい よしろう)だ。思い起こせばこのゲス野郎は、今とんでもない言葉を口走ったような気もする。
 それほど仲良くした記憶はないが、松居とは同じ幼稚園、小学校、そして中学という、学区故のからくりが見え見えの縁だった。

 中学一年生まではチビとかチマ、と呼ばれていた松居だったが、急激な成長期があったらしく、三年の今現在は、拓生より背が高い。

 話すときにいちいち高身長を誇示するように見おろしてくるところも、イラっとする。
「遥ちゃんは無理だよ、一応このガッコーの№1だぜ、それに……」
 松居の口を塞いでやりたい。彼は小学校の頃から噂好きで、その部分には成長期が無かったらしく、いつもあることないこと吹き込んでくる。
 拓生にとって、嫌な情報をだ。

「遥ちゃんは、桜井と付き合っているらしいぜ」

 ニキビ面に探るような表情を浮かべ、人差し指を天井に立てた。
「……お前の出る幕はねーなぁ」
 拓生は内心舌打ちした。そんなことは判っているのだ。
 遥と拓生は幼馴染みだ。
 小学低学年までは彼女はいつも隣にいた。バレンタインに歪な手作りチョコをくれたのは遥だけだったし、お泊まり会の時、深夜まで起きていて『けっこんのちかい』まで交わした。
 だが全て、昔の話だった。
 今、遥と付き合っている、という桜井裕太(さくらい ゆうた)は神明中学の男子部門の№1だ。
 バスケ部のキャプテンでエース、学校の成績も上位、王子様系の甘いマスクと三拍子揃い、彼が廊下を歩くだけで女子生徒から小さな吐息が漏れる。 
 まあつまり『イヤーな奴』なのだが、拓生には敵に立ち向かうコマが全くない、ライバルとすら呼べない上弦だ。鬼の王?
「羨ましいなぁ、桜井の奴」
 中三になって色気づきだした松居は、指定学生服に身を固めた己をかき抱く。
「俺も遥ちゃんみたいなイケてる女の子とイロイロしてーなぁ……て、もう女なら誰でもいいよ」
 拓生は目の前で気持ち悪く腰をくねらせる松居から、目を逸らした。
 ちら、と今一度遥達の方に視線を走らせるが、彼女達はこちらを見ながらくすくす笑っている。
 一瞬でテンションが下がった。
 神経が剥き出されたような感覚を覚え、消え入るかのように身を縮める。

「……あ、あの」

 そんな拓生に、背後から控えめな声がこわごわかけられた。心の芯が不意に固まったかのように硬直する。
『彼女』だった。……つまり、時が来たのだ。
 骨を軋ませて振り向くと、俯き気味の女子生徒が立っていた。
 虹野彩(にじの あや)は、相変わらず漆黒の髪を二つの固い三つ編みにしている。太い黒縁の眼鏡を何かから身を守るかのように装備しているから表情は判らないが、拓生は用件に心当たりがあった。
「は、はい?」
 緊張に震えながら返事をすると、彩はしばらく躊躇し、「こ、これ」と何かを突き出した。

 反射的に避けようとした拓生だが、その前に彼女の手にあるモノが包丁とかカッターナイフとか、そう言うキレている凶器ではなく、手紙であると判別できた。
「こ、これ……」彩が消え入りそうな声で今一度言い、拓生は慌てて手紙を受け取る。
「じゃ、あ」
 逃げるように自分の席へ戻って行く。
「何だあれ?」
 松居は呆気にとられたように、彩の背中と拓生の手にある手紙を、何度か見比べた。
「委員長……ラブレター? 今時紙で?」
『委員長』というのは虹野彩のあだ名だ。好意的な物ではないし、実は『委員長』でもない。
 三つ編みと眼鏡、という外観で、いつの間にかそう呼ばれるようになったのだ。
 委員長キャラ、という事だ。

 当人の彩は、内気故に委員会に立候補など出来るわけもなく、推薦人たる友達もおらず、委員長でも何でもない。
 無冠の帝王ならぬ、無冠の委員長なのだ。
「ラブレターじゃないよ……」
 拓生が平淡な口調で答えると、途端に松居は手紙への興味を失う。
「しっかし委員長、相変わらずいいチチだよなー? もったいねー」
 軽口に拓生は彩の背中を探した。 
 崩壊しかけている校則故に、密かに制服を改造する輩が多い、無改造の清潔な白いセーラー服は、だからすぐに見つかった。

 彩は前の席にいる女子生徒の背を拝んでいるように、背を丸めていた。
「もう少し明るくなれば、委員長も少しは人気が出るだろうに」
 その松居の意見には賛成だ。

 彩は学年の中でも身長が高い方であり、女子としての成長にも恵まれている。
 運動は壊滅的にダメらしいが、勉強は全国でトップを争うレベルだそうだ。影のように目立たないのが不思議な存在だ。
 拓生はだが、そんな彼女について重大な秘密を知ってしまった。
 今まで口も利いたことがなかった彼に接触したのは、それについての事だろう。
 受け取った手紙を開いてみると、『放課後、屋上で待っています』と、定規でも使ったような固い字で書かれていた。 
 拓生はその日ずっと、不安に苛まれた。

 放課後、拓生は屋上に至る階段を上っていた。
 約束の履行のためだ。
 一方的なものであり、破棄するという選択肢もなくはなかったが、後のことを思うと不可能だった。
 時間帯故に影の中のような階段を、重い足取りで一歩一歩と進む。
 体を支えているかのように掴んでいる手すりは冷え切っていて、指先はびりびりと痺れた。

 ―─目撃者って、消されるのかな?

 拓生はテレビでやっていた映画の『目撃者』というキャラに思いを馳せる。
 大抵最初に殺されるか、主役だった場合、世界の果てまで追いかけ回される。見られたら消せ、の単純公式だ。
 どうなるんだろう? と黒い靄がかかったような世界を前に、拓生の心は震えた。

 ―─遥に告白しておけば良かったかなあ……。

 などと考えて、慌てて首を振る。
 それは出来ないだろう。例え明日が地球最後の日でもだ。
 松居の言うとおり分不相応な願いを持ち、次の日彼女達の笑い話の種になるなんて考えられない。

 それこそ死んだ方がマシだ。
 自分で『死』という単語を思い浮かべた拓生は、ぶるりと肩が揺れた。

 ―─まさか、まさかそこまでは……。

 切実な願いだった。

 ―─だって彼女は……虹野さんは……。

 気付くと、屋上へ続く扉の前にたどり着いていた。
 数秒のフル停止の後、なけなしの勇気を総動員して拓生は鉄扉のノブを回す。
 最初に目に入ったのは、血のような色の空だ。
 何て事のない夕焼けだが、彼の目には不吉な物と写る。
 そして屋上特有のコンクリートの平面と、黒い鉄柵。それに手を置きじっと校庭の方向を見ている少女。

 虹野彩。

 どくどくと、ここに来て拓生の鼓動が大きくなった。
 何が起こるか判らない、というのはどんな時でも不安だ。
 しかし、すでに意を決している拓生は迷わず、屋上へと踏み入る。
 夕暮れのゆったりとした空気が流れていた。運動部のかけ声、吹奏楽部の楽器、合唱部の歌、すべてがずっと遠くに聞こえる。
 彩は彼の接近に気付くと、セーラー服をはためかせて振り向いた。 
「来てくれたんだ……ありがとう」
「う、うん」
 互いに、探り合うかのような緊張した挨拶から始まる。
 しかし、その後は容易に続かなかった。
 彩は口を開けるとややあって閉じ、目を逸らす。拓生も声をかけようと勇気を振り絞るが、口を開き外気を舌に感じると、勇気も収縮してしまう。
 二人はしばし向かい合ったまま、無言の時を過ごした。
 松居などが目撃したら、それこそ『恋』だの『愛』だのと勝手に関連づけるだろう。
 が、拓生はそれどころではない。
 命に関わること、であるかもしれない。

「…………あの」
 莫大な時間をかけ、ついに彩がぼそぼそと語り出した。
「……見たよね?」
 上目遣いに、確認してくる。
 拓生には惚けるとか嘘を付く、とかいう選択肢はなかった。
 向こうもこちらを確認しているのだから。
 昨夜遅く、闇を打ち払った光。
「う、うん」
 七色の閃光を脳裏に再生しながら、頷いた。
「そ、そう」
 再び沈黙。二人の間を抜けていく冷えた風。
 だが拓生の心境はここで劇的に変化した。
 彩のもじもじした姿、風に靡く三つ編みを見ていると思い描いていた『最悪』というのがなさそうだ、と見抜いたのだ。
「あ、あの」とだから今度は彼から口を開く。
「は、はい」

「君、聖天使なんだね?」

 明らかに彩は狼狽した。
 眼鏡の奥の瞳が見開かれ、息でも苦しいのか、はうっと空気を飲み込む。
「そそそそそ」彩は珍しく大きな声になる。
「それ誰かに言いましゅた?」
 台詞を噛みながらあわあわ問う彩に、静かに首を振ってみせる。
「何だか、いけないような気がしたから……誰にも……」
 すとん、と彩の肩が落ち、愁眉が開く。
 張りつめていた表情も幾分和らいだ。
「よかった……」
 頬を赤く染めながら、彼女はついと俯く。
 拓生もその姿に安堵していた。どうやら『目撃者』キャラが辿る不吉な運命は無いらしい。 が、だとすると、むくむく持ち上がる好奇心を止められなかった。
「あ、あのさっ」
「……はい?」
「本当に、聖天使なんだね?」
 彩ははっと緊張を取り戻し、辺りを見回して彼等以外の人影がないと確認すると、小さく頷く。

「ええ、そうです……実は私……聖天使です」

 ぽわっと拓生の中で光が広がった。先程までとは違う理由で、鼓動が早まる。
『聖天使』……この世界を裏で守る、神様に選ばれた少女。
 松居ではないが、学校の噂でここら近辺に一人いる、とは聞いていた。それが虹野彩だと知ると、喜びに似た感情がせり上がってくる。
「すごいっ!」
 拓生が思わず感嘆すると、彩は半歩下がって頬に手をやる。
「そ、そんなことないでしゅよ……そ、そ、そんな」
 何だかまた噛んだが、拓生は恥ずかしがる彼女を眩しく感じる。
「だって! 君のことはテレビやら週刊誌にも出ているよ! 現代の聖女、とか、麗しいのヒロインとか」
 新聞社発行の堅めの雑誌にさえ、『聖天使』の特集があるほど、彼女達は有名だった。
「違うます、そんな偉くないです! ただ私は……えとえと」
 彩はゆで上がったように上気しながら、両手を軽く握って言葉を探している。
「虹野さん、聖天使なんだー」

 拓生が今一度感心すると、一転彼女の眼差しが真剣になる。
「音羽君」
「え……?」
「そのこと、誰にも言わないで下さい」
「でも」
 拓生は首を捻る。確かに『聖天使』達は正体を誰にも知られていないが、それに何の意味があるか判らない。
 彼女達は世界のために『化け物』と戦っているのだから、日本国は国民栄誉賞でもあげて良いと思う。
 逃げ隠れする必要など感じない。
「あのね」拓生の内心を看破した彩は、口調を改める。
「私たちは、有名になろうとか、誰かに感謝されようとか思って戦っていないの、ただ世の中の正義のために戦っているの、他の聖天使達もそうだから正体を明かさないし、私一人だけ有名人になると困るの、大体、それも契約の一つだし」
「契約?」
「女神様との」
 事も無げに彩は神という恐れ多い単語を出す。
「私を聖天使の資格あり、と認めて下さった方よ」
「ふーん、でもさ」
 拓生が唇を尖らせるのは、だとしても学校での彼女の扱いだ。
 人のために戦っている聖天使なのに、『委員長』なんてあだ名で呼ばれ、真面目すぎる性格を密かに揶揄されている。

「少なくても、みんなもっと君を尊敬すべきだよ、だって昨日スゴかったもん、『委員長』だなんて失礼だよ」
 拓生は昨夜、散歩の途中で聖天使たる彼女と、デモンの戦いに遭遇したのだ。そして、正体を知った。

「あうああああ」
 彩は頭を抱えた。
「なんでっ? どうして音羽君、あんな所にいたの? 誰にもいない場所におびき出したつもりだったのに」
「散歩してた」
「深夜にビルの屋上でっ?」
 彩が少し身を乗り出すから、拓生はその分反る。
「う、うん、僕は夜景が好きで、あの場所は穴場だったんだ、そしたらいきなり君がひょいひょいと……」

「待って」

 彩がてのひらを向ける。
「もう判ったから、それ以上はいい、でも、約束してねっ、誰にも私のこと言わないで下さい、そうじゃないと……」
「でもさ、君はもっと」

「いいんです! 私は『委員長』というあだ名、気にしていないもん、気にしていないもんっ 気にしていないんだからっ! それにさっき言ったとおり、正義のために戦っているから、ちやほやされなくてもいいの!」

「うーむ」
 拓生は不満だった。三回繰り返すところであだ名を気にしていることは明白だが、それよりも昨夜、閃光の中にいた彼女は格好良く、自分一人の秘密にするには勿体ない。

「……やくそく、してくれないの?」

 彩の冷静な問いに、拓生はびくりとした。
 すっかり忘れていたが、彼女と直に話すまではとても不安だったのだ。生命の危機か、と半分くらい思っていた。
「……も、もし誰かに言ったら……僕って殺されるの? 目撃者キャラとして」
 冗談めかしているが、それは重要な部分だ。
「はえっ?」
 彩は首を傾げて、しばし考える。
 が、「ああっ」とびっくりしたように声を上げた。
「ひ、ひどい! 音羽君は私をそんな目で見ていたの? 私があなたを殺す? ひどいです!」
「い、いやだって」
「ち、が、い、ま、す! 聖天使は人殺しはしません、ただ」
 彩はどこからか、虹色ひらひら布の巻かれた金槌を出した。

「これで叩けば、記憶がぱこん、と飛ぶんです、それだけ」

「え」和んでいた拓生が一瞬でしゃっきりした。

 その金槌は聖天使の魔法グッズらしいのだが、どう見てもひらひら意外は日曜大工に使う金槌と変わらない。

 彼女の持ち方からそれなりの重さがあると判るし、何よりも色も黒い鋼色だ。
 肝を冷やす。
 もし拓生が松居並の噂人間だったら、今頃彼女はあれを振り回して学校中の生徒を、ぱこん、したのだろう。
 神聖な聖天使が学校で無双ゲームのような事をやらかす。とてもシュールな図であり、つまり、換言すると、誰にも言わなくて良かった。グッジョブ拓生、だ。

「……本当は覚悟していたの、今日いきなり『聖ぴっこん』を使わなければならないかもって」

 聖ぴっこんとは、またイタい名前だ。実物を侮りすぎた命名である。
「あはは、誰にも言わなかったよ、親にも」
拓生は空虚に笑ってみせながら、家族への嫌疑を晴らす。
「そうみたいね、朝、何も言われませんでした」
 ―先回りしてんのかよ!
 ちょっと引く拓生の前で、彩は聖ぴっこんをしまった。否、それは彼女の手の中で掠れるように消えた。
「今後も言わないで下さいね、はい」
 彩は小指を立てると、一歩拓生に近づいた。
 意味が分からず、出された指を見ている彼に、彩が補足する。
「ゆびきりです」
「ああっ」
 拓生は慌てて自分の小指を彼女のそれに絡めた。
「ゆーびーきーりげーんまーん」何だか子供みたいだなあ、と思わないではないが、拓生は彩と一連の儀式を執り行った。
 その時、ふと至近にある彩の顔をしげしげと見て、驚いた。 
『委員長』とか『堅物』とか『真面目っ子』と言われている虹野彩だが、その素顔はかなり可愛かった。
 美少女。と言っても良いレベル……もしかしたら、イケてる三人衆と肩を並べているかも知れない。
 固く左右に編み込まれている髪は清潔で艶々と輝き、黒縁眼鏡で隠されている切れ長の目は黒目がちで大きく、唇はやや肉厚で血色が良い。

 メチャ可愛い、ではなく超美人、というタイプだ。

 伸びすぎの前髪、猫背の姿勢、眼鏡、の三つを何とかすれば、実は薄化粧しているイケてる三人よりも男子にウケるだろう。
 拓生はほあーと彩を見つめた。
「やだっ」
 視線に気付いた彼女は、小指を離すと一歩下がる。
「な、なによう? 何かヘン?」
 ぺたぺたと自分の顔を触る彩に、拓生は「ううん」としか言えなかった。

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