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2024/2/23 女に命令形を言わせない世の中

3日連続でピザを食べている。
明日も食う。4日連続だ。

ピザ生地の一度に使う小麦粉の量は約320g
これと水、塩、オリーブオイルを入れて10分こねこねして10分発酵して520gくらいになったものを三等分する。
これは今回わかったことだけど三等分ではちょっと多いので4-5等分でも1人なら充分なくらい。
生地を分けたらラップして常温に4-5時間ほど置いて、次に冷蔵庫に入れて約2日ほど放っておけばゆっくり倍くらい膨らんで食べ頃だ。
低温で発酵させることで小麦の香りが立つらしい。時間はかかるけど、放っておくだけなので手間は掛からない。

ピザ生地を作る時は普通の小麦粉ではなくカプートサッコロッソ タイプ00というものを使っている。
若干高額なので毎回この粉を使用できるわけではないのだが、この粉を使った方が小麦の風味がよくてかつそこまで重たくない仕上がりになる気がする。

スーパーに行くと思うけど、ピザって安い。
マルゲリータを手作りしようとするとモッツァレラチーズを買うだけで300円は掛かる。
既製品のマルゲリータピザが300円くらいで買える。

最近そういうことが増えた。
自炊=節約のイメージだったのに諸々の諸経費も考慮したら惣菜や外食の方が安くなったりする。
自炊で本気で節約するなら、おそらく月の半分は麺類になるだろうし肉は鶏胸肉が大半になるだろう。

私の自炊において目的は節約ではなくなっている。
単純に料理が楽しい。それが1番。


話変わって。

この間映画を観てきた。
映画本編が始まる前に流れる予告編を見ていたら、男の低い良い声で「見逃すな」とのナレーション?が入った。その後にタイトル➕公開日表示、みたいな。

その時ふと思ったのだけれど、こういう「見逃すな」とか「刮目せよ」とか「この映像美に震えろ」とか「感動に備えよ」とか、そういう命令形の言葉って、男性の声が大半な気がする。
大半というか、女性の声でその言葉が映画予告で使われたことはあるのかな。あるんだろうけれど、とても少ないと思う。

文章を読む、という行為に性差は無いはずなのに偏りがあるのはなぜだろう。
女に命令されるのが嫌な層がいるのかな、と考えたら寒気がした。
よくいうじゃないですか。
女の子なのにそんな言葉使いしないで!とか母親に叱られたり。
男と同じ言葉を使ったのに女の方だけ“はしたない”とか言われたり。
職場でも女は仕事の出来ない馬鹿な生き物だと思ってる男、たくさん見てきた。
馬鹿だと思っている生き物に命令されたら良い気持ちにならない人はいるだろうなと容易に想像できる。


確かに、低い男性の声で「見逃すな」と言われるとしっくりくるな、とも思った。
でも思ってすぐにこの“しっくり感”ってこの世界で生きてきて植え付けられた“先入観”がもたらしたものかもしれない、とも思った。
男と女の声帯は違うと思うし、脳科学的に男性の低い声の方が脳に印象づけやすいとかそういう研究結果が出ているのかもしれない。だけど、映画予告制作陣?配給会社?が予告編を作る時、“声”の担当を決める時そこには何かしらの偏見があるんじゃないかと思わずにはいられない。



男性はこの違和感に気づいたこと、あるのだろうか。
あらゆる場面で、あらゆる方法で、私たち女性が決して生物学的ではない理由で差をつけられ見下され、機会を与えられないことがあるということ。

気づいている人が多いのはわかっているし、男性には男性の大変さがあるんだろうなとも思う。



身近な人と真剣にこういう話がしたいんだけど、いかんせん機会がないっすね。

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