夕方からところにより俄か雨
私は、この歳になっても、割と夢見がちな性格で思い込みの激しいところがある。幼い頃、NHKのアナウンサーが渋く張りのある声と弛まぬ息継ぎで
「夕方からところにより俄か雨です」
と言うと、きっとこの人は何か素敵なことを言っているのだろうと思っていた。
20年ほど経って、この話をタバコが命でバナナ柄の開襟シャツばっかり着ている友人M田に話したら、バナナを口に入れてモゴモゴさせながら「…生命保険のCMみたいな感覚だな」と言われて笑ってしまった。
M田は初めて会った時から私に冷や水をぶっかけてくれる存在だった。
「優しく見えるひとほど嘘をつく確率は、高い」
人生の中で、優しくない友達は大事にしたほうが良い。
ゼミのみんなで最初で最後の旅行に行ったとき、M田は車を出した上に運転手をしてくれた。
ボロボロのメタリックグレーのニッサン・サファリで異様なほど燃費が悪く、ガソリンを切らさないようにヒヤヒヤしながら福岡から鳥取まで行った。
夜の9時頃から出発して高速道路を深夜料金で走る。
最初の2・3時間はみんなで歌ったり、ゲームをしたりしながら盛り上がっていたのだが、1人2人と寝落ちしてしまい、車内で起きているのが私とM田だけになった。
M田が「眠い」と仕切りにいうので、私はバックの中から飴を取り出した。
封を破って、M田の口元に差し出す。
M田はブルース・リーくらい眉間に皺を寄せて
「これ何味?!💢」
とキレ気味に聞いてきた。
「ミルクすもも味よ」と私は言った。
「はぁ?!💢」
と激ギレしたM田の様子がおかしくて、私は「ミルクすもも味って聞いたことないね」と息も絶え絶えに笑いながら言った。
M田が何か言おうとした時、急に雨が降ってきた。
ワイパーを起動させる。
ギィ!ギィ!と地鳴りのようなものすごい音を立てたので、みんなが一瞬目を覚ました。「驟雨」「すぐ終わるから。ちょっと我慢して」とM田がポツンと言った。
これから先、何年生きても、多分、驟雨という言葉を2度と人の口から聞くことはないんだろうなと思った。M田の言葉は、私たちに掛けられたものなのか、車に掛けられたものなのか、当時はよくわからなかったけれど、今は多分後者だと思う。
M田は主席卒業だったのに式の賞状授与代表をブッチして、何食わぬ顔で飲み会にだけ顔を出した。
その時にM田にドライブの驟雨の話をした。
「…」
M田は無言のままトイレに行ってしまった。
私は今でもこのことを後悔している。
M田は卒業後も、しばらくは会社の飲み会の後に「ファミチキ食べたい。11時半になったらあそこの角まで迎えに来て」などと無理な電話を寄越した。心を許した人にはとても横柄なのにシャイで寂しがりやで、口が悪かった。話もものすごく長かった。
それでも嫌われていなかったのは、仕事が出来たことと思考や行動に一貫性があったからだ。
それから私が子供を産んだ瞬間に「自分は子供が嫌いだし、それを印籠のように翳して生きている人間が嫌いだ、そんなお前は見たくない」と言う理由でM田と私は会えなくなった。それでも1ヶ月に1回くらい「豚」とか「焼肉」とか変な熊のスタンプがLINEに入ってくる。
7年間、欠かさずに。
そのうち会うかもしれないし、一生会わないかもしれない。
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