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23歳うつ日記 自分を愛する

今日は日中ひどく気分が落ち込んでしまい、脱力感もハンパなかったのでPCを開かず寝ていたきのこです。
夜になってご飯を食べて入浴したらようやく少し筋トレできるくらいになったけど、筋トレ少ししたらまた疲れました。まったく、学ばないやつですね。でも、1日動かないとやっぱり部分的でもいいから動きたくなるのは人間っぽいなぁと我ながら思います。まだ人間らしさが残っていたのか、と残念に思います。
というのも、私は人間をやめたい。人間じゃない方がそれを言い訳に楽に生きれるからです。変な鳴き声や遠吠えを発してみたり、たくさん独り言を言ったり。外でも変な動きや待ち時間にずっと揺れていたり。電車で足をぶらぶらしていたり、誰かとの待ち合わせに早く来すぎたらぼーっと空を眺めたり目をつむっていたり。
少し変な人だと思われる(?)ような行動をしたくなる私にとっては人間であることは負担でしかないのです。人間じゃないから変な動きをするのか、と思ってもらった方が100倍楽。
これを読んでくれているあなただって、少しくらいこの気持ちがあるはず。
無理に人間である必要はない。怪獣とか魔物とか、そんな変なものにならなくてもいいけど、

            人間じゃない何か

になってみませんか。植物でも動物でも。動物の赤ちゃんでも。人間でいるから、「こうであるべき」「これが普通」といった枠にとらわれてしまうのです、きっと。

さて、これが自分を愛するということに繋がるのはなぜか。

普通にならなきゃ はしばしば自分を否定するからです。

「人と比較して収入が少ないだのスタイルが悪いだの、身長が低いだのと落ち込むこと。なぜ自分だけこんなに仕事ができないんだろう。こんなにミスをしたり自分に自信がないなんて、社会人失格だ」

こういったことは、何か基準となる人間という枠の中に自分を閉じ込めた時におこる思考です。「人間じゃないから、人間がしている仕事ができないのなんて当たり前。職場に行くだけですごいことだ。」「人間と比べて身長が低いのは当たり前。むしろちっちゃくてかわいらしい別の生き物なのだ。」と枠を外して自分を解放するのです。

「自分がこうでなければ、こうありたいのになぜ実現できないのだろう」
と思っていることは、枠の中で感じること。
だから、その外に出て考えた時、自分の愛すべき性格や特徴がわかるはず。
自分をかわいがることって難しいけど、人間じゃない部分の自分をかわいがるところから始めたいですね。

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