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誰に読んでもらう為に書くのか
私は、自分の思いついた、その時書きたいことを、ただ書いているだけなんですが、日記に書けば? と、よく思うんですよね。
で、実は、他の人の詩を読んでも、日記にだけ書いて人に見せなくてもいいんじゃないの? っていう、そういう感想を持つことがあるんです。
ま、特に、性的な生理現象を扱った詩の中に、汚らしさを感じる詩があるんですよね。
例えば、昔読んだもので、鉛筆を持って詩を書いてる自分と、マスターベイションしてる自分を重ね合わせて書いてるものとか、ユリイカの投稿欄(1984年2月号 田村隆一選)に載ってたんですよ。
それ読んだの、17か、18ぐらいでね。
初めて書いたときのことを詩にするとしても、生理現象と重ねて書かなくてもいいだろう、これが、あの、ユリイカで、田村隆一先生が選ぶんだ、って、へえ、そうなんだ、詩の世界って、私小説より奇っ怪だな、って、思いました。
こういう生理現象を扱ったものって、今でも書かれていて、なんだか取り上げられるんですよね。
女性のも、男性のもあるんですが、まあ、男性のこの手の詩は、ちょっと、困るなって思う時があるんですよ。う~ん、女性のも苦手だな、う~ん。
女性かあ、女性のも、やだなあ。う~ん。
ま、これには、実際に体験していることと、想像でしかないことと、そういう中での、虚構が実像を超える体験に関わることなんじゃないかとも思うんですが、いずれにしろ、なんでしょうねえ、どぎついのは嫌いなんですよねえ。
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