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🎬エンドロールのつづき 感想

一本の映画を観たことで映画をこよなく愛すようになった少年サマイ。
映写技師と偶然仲良くなり、学校をサボって映写室から映画を観る展開ゆえ、インド版『ニュー・シネマ・パラダイス』と呼ばれるのもわかる。

サマイはただ映画を観るだけに飽きたらず、その思いは映画を作ることに向かっていく。
サマイが映画作りに少しずつのめり込んでいく様子はパン・ナリン監督自身の実体験をもとにしているからかリアルで、ある意味『ニュー・シネマ・パラダイス』よりも説得力があるし、流れとしては『フェイブルマンズ』の冒頭に近いかもしれない。

映写される映画は1980年代のインド映画だらけなので馴染みがないのだが、インドの人が観たら「ああ!あの映画だ!」という思い出深いものなのかもしれない。

フィルムからデジタルへと映画が変わっていったインドの様子が痛みを伴って描かれている部分には、時代が変わっていく悲しさにあふれている。

映画全体の雰囲気は、インド映画というより叙情的なヨーロッパ映画の雰囲気が漂う。
インドの貧しくも美しい風景、様々な光、音楽、カットなどインド・フランス合作らしいがフランス映画の影響が強く、歌って踊るインド映画とは全く別モノに仕上がっている。
作品中たくさんの世界の映画作家の名前が並べられるが、パン・ナリン監督がかなり外国映画の影響を受けていることがうかがえる。

映画が嫌いな父親との関係性も父親の隠された背景を知った上で興味深いが、母親の愛情のこもったインド家庭料理が次々と並ぶシーンはグルメ映画としてもおいしそうで、母親のサマイへの愛をうまく表現している。

インド版『ニュー・シネマ・パラダイス』と言われることの多い作品だが、前に進むための進歩とその痛みという人間が避けて通れない姿を描いている点では全く別物で、あまり比較すべきではないかもしれない。

映画好きの少年が大きく人生を変えていく、映画好きにとっては鑑賞後感のやさしい作品。

ただし、映画のフィルムを盗むのは絶対アウト。
「映画を所有したい」「映画を映写したい」という気持ちはわかるし、ビデオもない当時の万国共通の映画好きの欲求だったのだが、たくさんの人が待っている映画を盗んで人々の楽しみを奪い、自分が独占してしてしまう行為は子どもといえども傲慢。
監督にとっては武勇伝の一つのつもりなのだろうが、それがいつまでも肯定的に描かれているのはきびしい言い方だが映画への冒涜で、映画愛にあふれている作品ゆえなおさら最後まで気になってしまいストーリーを邪魔した。
"NO MORE 映画泥棒"
残念。

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