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🎬キャタピラー 感想

戦時下、日本のある農村で暮らすシゲ子の元に、日中戦争に出征した夫・久蔵が四肢、聴覚、声帯を失い顔は焼けただれた姿で戻ってくる。

久蔵の実家の家族は変わり果てた久蔵を見て、そのおぞましさにすべての世話を嫁のシゲ子に押し付けてしまいます。
ここにかつての「家制度」の姿を見て取ることができます。
また、出征前の久蔵がシゲ子に暴力を振るっていたことも次第に明らかになり、「家制度」ゆえの「男尊女卑」という終戦まで(実はその後も長く)当たり前だった"家"のあり方も見えてきます。

村人たちは不自由な久蔵を「軍神様」と奉り、村の国防婦人会の人たちはシゲ子に「お世話もお国のため。銃後の立派なご奉公」とこれからの久蔵の世話を「神国国民」の当然の義務として諭しますが、所詮は他人事なのも見ていて嫌悪感を感じてしまいました。

排尿すら自身の意思でできない久蔵の世話、そして四肢を失ったとはいえ残った性欲のため自分の意思を殺して奉仕するシゲ子でしたが、その立場はだんだんと曖昧になり、ときには逆転してシゲ子に嗜虐的な側面が現れる展開には人間のきれいごとでは簡単に割り切れない本性が見え隠れしています。
そして、そんな夫婦の描写に挿入されるラジオから流れる大本営発表のウソが、日本の戦争の現実を象徴的に描写しています。

久蔵が戦争の加害者として精神的に苦しみ始めることも、戦争が当事国の人双方に対し持っている苦しみを雄弁に伝えていると思います。
そして日本人の経験した戦争が、沖縄戦と広島・長崎への原爆投下の映像で俯瞰した歴史としてのマクロの視点と、シゲ子と久蔵の生々しい夫婦だけのミクロの視点でそれぞれ描かれていて、その両方から戦争の残酷さを生々しく感じることになります。

寺島しのぶさんの嫌悪、絶望、嗜虐的思考、そして愛も感じられる複雑で、さらにエロティックなゆえに痛々しさを感じる演技が印象に残りました。

この映画の前に『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』で、あさま山荘事件とそれに至る集団リンチ殺人事件で新左翼運動の終焉を描いて、自分なりの総括をした若松孝二監督。
これらの事件が主犯たちの嗜虐的思考から起こったことには、『キャタピラー』にも通じる共通した人間の本性を垣間見た気がしました。
また、この事件によってほとんどの平凡な日本人の意識に、左翼的思考全体に対する強烈なアレルギーを根付かせてしまったことは間違いないと思います。

しかし、その逆として日本人の戦争体験による自由と平和を求める精神構造があるのも忘れてはいけないように思います。

『キャタピラー』は、日本人にとって、国家の意思が何よりも優先されその上虚飾とウソで塗り固められた"あの戦争"の時代を、夫婦という二人だけの世界に落とし込むことで人生を狂わされた小さな人々の生々しく残酷な姿を描き出した意欲作だと思います。

この映画が若松監督自身による『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』へのアンサーであることは間違いないと思いました。

原爆のことを書いたトルコ人詩人ナーズム・ヒクメットさんの詩を元ちとせさんが歌った主題歌「死んだ女の子」も象徴的でした。


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