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【プチ小説】「あの日の白和え」

はじめに

小説とは書いていますが、その辺の素人が書いたものなので、
温かい目でご覧ください。


「あの日の白和え」

今日の夜ご飯は白和えだった。
祖母のとは少し違う、母が作った少し酸味のある白和え。
思い出すあの瞬間。

祖母の家で泊まる日、白和えの準備する。
すり鉢と棒を出し、まず胡麻をする。
そこに豆腐やほうれん草など、順に材料を入れていく。
「これぐらいでいい?」と、胡麻をする小学生の私が聞く。
「もう少しかな」と祖母。
祖母の作る料理が美味しいので、早く食べたい私はせっかちだった。

またある日、私自身が介護職員をしていたことを思い出す。
「〇〇さんが「momokaさんは、看取りの時いてほしいうちの1人」
って言ってたよ」

とケアマネジャーが言う。
祖母が亡くなって数ヶ月だった私、「普段と違うことは何もしてないのに」と思う。
しかし、今考えてみると、〇〇さんがおばあちゃんに似ていて、
私がおばあちゃんにしたかった介護を〇〇さんにしていたのかもしれない。

私がおばあちゃんに貰ってきた、
たくさんの恩を返したかったのかもしれない。いや、返したかった。
それで、今もふらっとお墓参りに行って
「会えたらな」なんて思うのかもしれない。

小さい頃から祖母には「好きこそものの上手なれ」と言われてきた。
自分の選ぶ「好きなこと」を信じてやってきた。
その一つで転けても、別の好きなことで今まで生きてきた。

また祖母に言われて印象的だったのは、
私がコロナ禍で留学を中止し帰国してきた時のこと。
心配だったので2週間部屋で自己隔離し、それが終わって、
「ただいま」を伝えに行った時。
祖母が「無事に帰ってきて良かったね」と。
家に帰ってから泣いた。
その夏、祖母は入院した。

私が介護の仕事に慣れ始めたとき。
仕事終わりに電話があった。母からの電話で察しがついた。
「おばあちゃんが亡くなった」と。
入院してすぐの頃、お見舞いで家族が声をかけて、
祖母の目が開くことにびっくりした看護師さんがいた。
入院時の祖母はそれくらい弱っていたし、
話せる状況ではない約2年が過ぎた頃だった。

お葬式の日、色々なことを思い出していた。

おばあちゃんが作る赤飯美味しかったな。
白和えまた一緒に作りたかったな。
年末の巻き寿司、またみんなで作りたかったな。
おばあちゃんと喋りたかったな。
1番見たがってた花嫁姿、とうとう見せられなかったな。
私頑張ってるよ、って伝えたかったな。

生きていればいつでも話せるような、そんなこと。

おばあちゃんに祖父が声をかける。「元気でな」
泣く私たち家族。
私は「こんなに思い出される人になれるだろうか」
「こんなに愛される人になれるだろうか」と、祖母を尊敬した。
それとともに、自分が生きていくこれからに打ちひしがれていた。


おわりに

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
お盆ということで、祖母との思い出を書いてみました。

あなたはお盆で思い出す家族やストーリーはありますか?
「話す」ということは、その話を忘れないこと、
その人を忘れないことにつながります。
家族が集まるタイミングで、お話されてみてはいかがでしょうか。

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