読者の後出しじゃんけん

気持ちを言葉にして、それをつなげていって文にするとき、私たちはいつもその文を見る「誰か」を思い浮かべている。

その「誰か」が多ければ多いほど、自分の文が届くのには時間がかかる。
締め切り直前のレポート、明日会う友人に渡す手紙、これはすぐに届くことが多いから、今ここにある自分の気持ちにかなり似たものを届けることができる。

そう考えると、本を読む読者の立場になった我々は、まあなんともずるい後出しじゃんけんをしているようだなと思う。
読者に届いている時点で、そこでは本人が書き始めた時期からはたくさんの日数が経っていて、その文書いた人自身もギャップがあったりするわけで。
なのに書籍の評価サイトなんかには、後出しみたいに読者からの意見がずばずばと書かれていたりする。

だからといって、後出しを全部防ぐような小さいバリアばかり張り巡らされた本は面白くない。これは何となく判断がつく。

もちろん読者側に後出しをしている自覚はないだろうし、後出しを批判に近しくとらえている人は、書いた本人へのリスペクトが強かったりする。

批判=否定だろうか。
批判的な態度、なんて言葉もあるからすべてが否定にあたるわけではないだろう。
だから本を読みながら、批判に書いた本人がどう答えるかなんて想像するのが、この変なじゃんけんの構図を打ち壊す方法かもしれない。

そもそも、製本しないような文を書く私のような人たちも気軽にそれを公開できる時代になってしまった時点で、文を本にすることはもっとスピードが求められてゆくのかもしれないが。

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