一度しか会わない他人だとしても

自分が受け入れられない人物に遭遇したとき、あなたは一番にどんな印象をもつだろうか。

ここでの遭遇するは、たとえば他人の理解できない行動を見かけることも含んでもらって構わない。電車とか道端とか、外出の機会が多い人ほどそういった場面はほぼ1日1回以上のペースで経験しているのではないかと思う。

ということは、本質的にそれだけ合わない人が世界にはごまんといるのではないかと思える。これは推測としてはとても面白い。
付き合っている者同士が些細なきっかけで別れるように、私たちは相手のすべてのシチュエーションにおける行動パターンを、生きているうちには網羅できないわけだ。
攻略本を買ったら隠しイベントにすべて触れられるようなゲーム性のないところに、世界の広さをどうしようもなく感じる。

話は戻って、ある知り合いはそんな人物に遭遇すると、とても悲しくなるというのだ。一瞬かわいそうだなと思うことと同義であるように思えるが、彼はその一言で終わるような感想を持っているのではなかった。
例えば目の前の空いた席に座ったとき横で立っていた人に舌打ちをされたら、座りたかったんじゃないだろうかとか、その行動に至る理由をとにかくたくさん推測するらしい。
そのうえで、じゃあ舌打ちじゃなくて一言声をかけてほしかったのにとか、そんなことを思って悲しくなるというのだ。

優しい人だなと思う反面、その根底には多少の自分勝手さがあって、でも声に出せない分現実的な視点を持ち合わせているなと思った。なにより、とても考えている。その点には感服しかなかった。

必ずしもそうとはいわないが、すべての人と分かり合えるわけではないと知ってしまっている時点で受け入れられない他人には無関心になるし、考えることはそこで停止している。
常に考えることは苦痛以外のないものでもないが、そこにはなによりもいつかは皆と分かり合えるという希望が見える気がした。

もっと自分以外の人に興味津々になろうと思った。苦しいことだから、彼のようにいつもそうはできない気がするが。



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