【小説】CASE3:モリタキョウカ

キョウカはワタルを愛していた。

20年前に撮った挙式での写真は、今もお気に入りのフレームに入ってリビングに立てかけられている。窓の外で夕日が沈むのを見ながらそのフレームを指でなぞるのが彼女のくせだった。


すべてが変わったのは、ケントが生まれてからだ。
慣れない育児は、多くの女性が今までもそうであったようにキョウカを苦しめた。ケントが特別世話の焼ける赤ん坊だったわけではない。とはいえ当人のことは当人にしか分からない。今までの生活が一変することは、彼女にとってひどく苦痛だった。

それから少ししてキョウカは、息子を手放したいと思うようになった。
そのための手段を何か思い描いていたわけでもない。ただ漠然と、息子との物理的な距離を求めるようになっていた。
そうして出た答えが、離婚だった。答えを導き出した時の彼女は、もうそれ以外のどんな方法も思いつかなかった。ただ息子と離れることに必死で、ワタルに何と言ったかすら今はもう思い出せない。

飼い犬を連れて、キョウカは実家の近くで一人暮らしを始めた。
生活は一変して、彼女に笑顔が戻った。誰にも邪魔されない、自由な生活。
穏やかに流れる日々に、キョウカは身をゆだねるようにして年を重ねる。いつもそばにいる飼い犬も、彼女と同じように目線が低くなっていった。

ある日、ワタルがなくなったと母親から連絡があった。なぞっていただけのフレームをキョウカは瞬間つかみ上げた。写真をはっきりと目にしたのは、10数年ぶりだった。

頬を涙が伝う。止まらない。
キョウカは自分の出した答えの大きな間違いにそこで気づいた。
私は彼を愛していて、彼には私が必要だったのだ、と。


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