シェアハウス・ロック0617

ベルリンの壁崩壊

 ベルリンの壁崩壊(1989年11月9日-10日)から2年後くらいだったろうか、大月書店がマルクス・エンゲルス全集の廃刊を決めた。ところが、ドイツでは、かえってマルクスの著作が読まれるようになったという。
 この話を、私の記憶では、2か所で読んだ。
 つまり、ベルリンの壁崩壊で日本では「マルクス主義は終わった」と判断し、ドイツでは、「マルクスのどこが間違っていたのか」と考えはじめたということになる。このドイツの風潮の先の先の先くらいに、2012年ベルリン自由大学哲学科修士課程修了、2015年フンボルト大学哲学科博士課程修了という斎藤幸平さんの存在があると、私は考えている。
 私は、ボルシェビキ革命後、近隣諸国の軍事的な圧力に対し、レーニンが白軍を再編成し、赤軍に組み入れた段階で間違いが始まったと感じる。
『甦るヴェイユ』(吉本隆明)に、「マルクスやロシアのマルクス主義の指導者たちの<戦争>についての考え方」を「一口に簡単に要約」した箇所がある。新書版あとがきのなかである。

 マルクスは素朴に一般社会の民衆(賃労働により生活している人々)の正義感(倫理感)を基にしてひとつの国家と他のひとつの敵対する国が<戦争>をはじめた場合、民衆は弱小な国家を支援すべきだとした。
 レーニンとトロツキイのようなロシアのマルクス主義指導者は<戦争>がおこなわれたら当事国の民衆(同前)は自国が敗北するように戦うべきだとした。
 ロシアマルクス主義の最後の指導者スターリンは<戦争>が始められたら民衆(同前)は何はともあれ民衆(同前)の<大祖国>であるソ連を守るように戦うべきだとした。

 上記に次いで、吉本さんは、「マルクスの考えはいかにも思想家らしい」「ロシアのマルクス主義指導者たちの考え方は、いかにも政治的実践者らしい」と評し、スターリンのそれを「『いい気になるな』『世界の「民衆」をなめるな』とか半畳を入れたくなる」と言っている。
 ローザ・ルクセンブルグは、この問題ではまったくレーニンとトロツキイを踏襲しており、シモーヌ・ヴェイユは、そのローザ・ルクセンブルグを批判して、「戦争自体がいけない」と言っている。とは言っても、ヴェイユはスペイン市民戦争には「従軍」している。もちろん、市民軍のほうだ。
『甦るヴェイユ』の「あとがき」に、吉本さんの「まとめ」のような言葉がある。それを紹介する。

 ヴェイユは生きた同時代のいちばん硬度のおおきい壁にいつも挑みかかり、ごまかしや回避を忌みきらったため、壁に沿って必然の曲率でねじまげられた。だが、この曲率は比類のない正確な歴史曲線をかたちづくっている。こういう断定をゆるすような決着は、もちろんここ数年の世界史のうごきのあとはじめてはっきりしたといってよい。 

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