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アルゼンチンへ18000kmの旅<日本語版>

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”プロツアーガイド Sr.Jokoとブエノスアイレス散策”を、頑張って翻訳しました。まだまだ未熟者ではございますが…観光スポット、歴史、文化、習慣などなど、おもしろ情報いっぱいで…
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#五月広場

Plaza de Mayoの記憶-その4 : 五月広場の母たち や 祖母たち

Escrito por: José A. Napolitano Guía de Turismo registrado en el Ente de Turismo de Buenos AiresUniversidad Nacional de Avellaneda これまでの記事で、五月広場が、あらゆる種類の大衆的、政治的出来事、場合によっては悲劇的な出来事の中心地として重要であったことを述べてきました。そしてもう一つ、この45年間に2,300回以上も繰り返されているデモ運動が

Plaza de Mayoの記憶 その3:アルヘンティーノの愛国心

今回は、アルゼンチンにとって、非常に大きな傷となったテーマについてお話します。1976-83年、20世紀最後の軍事独裁政権の時に起きた出来事です。 五月広場には、「マルビナス諸島」までの距離を示す小さな道標があります。 「小さな」な道標なので、これが重大なことに関することなのかと不思議に思うかもしれませんが。。。レティーロ地区の広場に、主要な立派な記念碑があります。 道標に近づいてみると、島々のシルエットが見えてきます。 アルゼンチン沿岸から約500km、南大西洋に浮かぶ

Plaza de Mayoの記憶 その2:ディエゴ・マラドーナ

最近. この五月広場に多くの人が集まったのは、2020年11月26日、カサ・ロサダ(大統領府)で行われた元サッカー選手ディエゴ・アルマンド・マラドーナのお通夜です。 ディエゴ・アルマンド・マラドーナ とは。。 1986年 FIFAワールドカップ・メキシコ大会でアルゼンチン代表チームとともに世界チャンピオンになりました。 マラドーナは、サッカーが盛んな国では最も偉大なサッカーアイドルです。 だからこそ、大統領は、Covid -19のパンデミック(世界的大流行)の最中でも、

Plaza de Mayoの記憶 その1:ペロニスト党誕生

五月広場は市民にとって、とても重要な場所です。 ある日、この広場を訪ねていたら、突然遠くから拡声器が鳴り響き、やがて何万人もの人々が広場に集まってくるといったことが起きても不思議ではありません。 人々は政府に対する反対または賛成を示したり、何かを要求するために、この場所に集まりデモ運動をするのです。 また、何か重大な出来事を記憶するためにも、ここに集まります。 通常、このようなデモ運動は事前に計画されており、警察によって通りが封鎖されたり、デモ参加者の空腹に付け込み数ペソを

Plaza De Mayoの成り立ち(日本語版)

5月広場の成り立ちby Jose A.Napolitano ブエノスアイレス観光局公認ツアーガイド 国立アベジャネーダ大学 「ブエノスアイレスに初めてきた旅行者に一番最初に案内する場所はどこか」と聞かれたら、「Plaza de Mayo」と迷わず答えます。 この広場は、1810年5月25日に起こった革命にちなんでPlaza de Mayo「五月広場」と名付けられました。この革命はスペインから独立するための第一歩となりました。 この地の始まりは。。。 1580年7月11